#826 これからって何の時代なのか
これからってAIの時代じゃないですかって言われることがある。それは誰か一人とかそういうことではなくて、いろんな人に言われることがあったり、いろんな人が言ってるのを聞いたりする。それを聞いた時、いつも微妙な気持ちになる。
それは微妙な気持ちというのはまさに微妙な気持ちであって、否定でも肯定でもない。というか、もっと言えば、半分は肯定で、半分はわからないという気持ちかもしれない。
つまり、否定と肯定、どちらもしないわけではなくて、半分ぐらいは肯定する。うん、確かにその通りだ。そうだね、その通りだよ。そんな気が僕もするよと思う。しかし、もう半分は、本当にそうなんだろうかと思う。いや、これはなかなか言葉にするのは難しいんだけれども、この今言ったような、本当にそうなんだろうかという疑問を提起しているということすらも、やや当てはまらないように思う。これは少し違う。
では何なのか。何なんだろうか。本当にそうなんだろうかというよりは、もっと言えば、その問題提起自体に疑問があるのかもしれない。
例えば、これからはAIの時代であるというが、これからというか、すでにそうなのではないか、であったりとか、そもそもAIの時代とは何なのか、とか。AIというものがもし、非常に発達したとして、それはAIの時代なのかということであるとか、なんだかよくわからない。でもこれはまさによくわからないということを、よくわからないという気持ちのままで、よくわからない文章で書いてしまっているわけだ。なんだかとってもよくわからない。
しかし、いずれにしても、私がその時に思うのは、それは今、たくさんの言葉であちこちで語られているような哲学というような言葉、つまり、AIの時代により人間が哲学を求められるのだということと似ているかもしれないし、少し違うかもしれないし、もっと言えば、そんなに大したこととか、すごく大切なことを言おうとしているわけでもない。ただ単純に、人が生きるのが難しくなっていると言いたくなるけれども、しかしそれも本当にそうなんだろうか。ただ生きるということ。
人が人として、いや、人が生き物としてただ生きるということは、簡単になっているのかもしれない。しかし、人が人として生きることが難しくなっているのかもしれない。だけど、その人が人として生きるとは何なのか。人が人を楽しめていると、人が考えている部分。人と動物が違うと言う人もいるし、そう思っていない人もいるけれども、仮に、人というものが他の動物と違う部分があるとして、人間というもの、ま、人という生物の種類というよりは、人間性みたいな言葉で表現するような、その人間たり得るもの、人間というものを定義するものというもの自体が、何なんだったっけ、なんだったんだろうと考えなくてはいけないというか、考えていると辛くなるから考えなくてはいけないのかもしれないし、考えない方がいいのかもしれない。すべての可能性は開かれているし、また同時に閉ざされている、そんな気持ちになる。
なんだろうな、いろんな思い出話をしようと思ったけれども、やめてしまった。
自分がプログラミングというものをし始めた頃、それは楽しかったし、他の自分が苦手なことに比べると、自分はそれは得意だった。
しかし、もちろん、よりそれが得意な人に比べれば全く得意ではなかった。しかし、自分の中では多少は得意だったし、多くのそれが得意じゃない人よりは多少得意だった。何を言ってるかわかんないような気持ちになるけれども、しかしこれは真実だ。そして自分はそれを仕事に選んだ。
これは消去法的なところもあったし、本当に自分はそれを唯一絶対最もやりたいものとして選んだのかどうかというと、果たしてそこまでのものがあったかわからない。しかし、明確な目標設定というものが、人生に良い影響を与えるかどうかというと、そうではないという話もあるし、少なくとも私はその行為が嫌いではなかった。そう、嫌いではなかったのだ。好きだったかわからないけれども、いや、どちらかと言えば好きだったんだとは思うけれども、より嫌いなことに比べれば全く嫌いではなかったし、楽しかった。
できればそれをずっと続けたかったけれども、まあそうもいかない。そうもいかなくなってきているし、そもそも別にAIは関係なくても、そうもいかなくなっていた。それは、自身の能力とかキャリアみたいな部分だけではなくて、人間の興味関心であるとか、そもそも、なんだろうな、何かをやろうとした時に、足りない部分がそこではない場合という時に、どのように振る舞うのかということでもあるような気がする。








