#416 限りある時間と身体について
どうしたって人間関係というものは移り変わっていくものだなと思う.移り変わっていくというか入れ替わっていくというか.新陳代謝していくというか.
その中でもなぜか長く付き合いがある友人というものはだからこそ素晴らしいものだと思う.ある時期にすごく仲が良くてももしくはすごく信頼していたりよく仕事をしていたりしても色々なことが変わっていくものであってむしろ同じ関係性が続くということの方が異常なことなのかもしれない.
入れ替わっていくというのはまあなんだろうな新しいものが入るために古いものがなくなっていくということでもある.思うに無限に何かを増やしていくことはできない.まあお金を儲けたりするのはねお金持ちの人はどんどんお金持ちになっていくのでその限りではないかもしれないけれども.
少なくとも自分の時間というもの自分のあらゆるリソースというものは有限であってそこに入るものとか手に持てるものっていうものは必ず限界があるだからたくさんのものを持とうとしても仕方がなくてやっぱり何を捨てていくのかという決断に迫られる瞬間が必ずある.
リソースという風に言い換えたのは大きく言えば一番有限なのは自分の時間なんだけれども次にお金と言いたいところだが個人的には次に有限なのは自分の身体であると思う.どれだけすごい人でももちろん体力は無限本当の意味での無限ではないし.子供の頃はそれこそ無限なのかなと思ってしまうぐらいだけれどももちろん本当の意味の無限ではないし大人になって身体的に子供の頃よりも衰えてきたり成熟したりしてくればやはり自分の身体の限界を感じる.
時間というものはもちろん基本的には誰にとっても24時間与えられているというのはよく言われることだ.もちろんこれは時間に関してのより高度な議論みたいなものは一度棚に上げている.時間は存在するのかとかね.その辺は一旦置いておいてまあ一般論というか我々は生きている認識感覚としては24時間というものを認識して少なくとも我々生きている生活しているということは言ってしまっても間違いがないだろう.
その24時間というものも結局どれだけ効率よく使えるかということもあるけれどもやっぱり次に来るのは体力的な限界.誰しもが24時間動き続けられるわけではない.まあ頑張って24時間つまり徹夜したりすることもあるけれども当然性能は落ちてくるし24時間起きていられるけれども240時間起きていられる人間はまあ多分いないだろう.どこかで死んでしまうという話を聞いたことがある.
つまり人間の身体というものは稼働し続けられるようにはできていない.
雑感:何日か前に書いたがふと思って一度書いたものを AI に整理させるのやめてみている.というのもやはり日々の業務としては部屋に頼っている部分というものが増えてきていてであれば この文章というものはAI が出す 整った文章よりも乱れていたり クオリティが低かったとしてもそこに人間性のようなもの 手触り みたいなものがあるのだと思っていて だからこそ これはやはり その不完全さを残すという意味で一旦 人間の手によるものを書くということをしてみようかと思った.
従って今日の内容は全て人間の手によるものである.まあ手によるものとは言っても手で直接入力しているわけではなくてまあ例えば今日などは音声入力を用いている.音声入力を用いてる時点でそこには機械の処理が挟まっていて昨今であれば大きく言えば AI と言われてるような内容としては深層学習の技術が用いられているはずだ.
だからこれすらも消して生の人間のアウトプットというわけではない.例えば前の文章で消してという単語があるがこれはもちろん間違いで決してと書きたかった.自分の手で書いていればこの間違いは起きないだろうだからこれは音声入力を使ったがゆえのミスであってつまり先ほど自分が行ったことと矛盾していて人間の手によるノイズではなくて人間と機械の境目にあるノイズということになる.
この時点ですでに人間の生のアウトプットがここにあるわけではないということになるだろう.
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