#448 期待の曖昧さと音声入力の試み

今日は月曜日である。月曜日は憂鬱だ、ということにはならない。あまりそういうことはない。良いのか悪いのかはわからない。
今回はキーボードで入力している。何度も書いているが、音声入力と、キーボード入力では、思考からアウトプットまでのスピードが違うので、文章の精度だけでなく、思考の精度も変わってくる感じがしている。
もしかしたらしかし、それは単に慣れの問題であって、音声入力でもそのわずかな時間に同じくらい思考の精度を高めることができるかもしれない。というかむしろ、会話とはそういうものであって、会話の練習としても音声入力は役に立つ、ということはないだろうか。いや、会話というとおそらく間違いで、なぜかというと会話とはキャッチボールだからで、そうではなくてまあプレゼンテーションや会議で事前に準備したものではないものを話さなくては行けない時に、頭の中で整理しながら話す、というようなことをしなくては行けない時の練習として役に立つものなのかもしれない。
そうであれば音声入力で文章を書いてみる(書くというのかはわからないが)ということを続けている私は幾ばくかは何かしらそういう、考えながら話をまとめながら話す、ということがそれ以前よりは得意になっていると良いなとは思うし、得意になっていて然るべきだなと思うわけだが、実際にそうなっているのかはよくわからない。
話は逸れるが、人間である以上ネガティブな感情というものが生まれる時もあるし、誰かと接していて嫌な思いをすることは当然ある。
他人に期待しない、ということをアドバイスされたこともある。言ってることはわかるが、これがなかなか難しい。期待と投資は裏表だと思う。裏表というか、一体というか。つまり期待できない人に投資するのは難しい。いや、それをやれということなのだと思うが。
これは科学技術研究において、選別して資金を投資するよりも、無作為抽出で資金を与えて、これは最初の段階の話だが、とにかくまだ最初の段階というのはどれがうまくいくかなど全くわからないので、わからないことに時間を使うよりは、機械的に抽選、もしくは全員に少しづつ与えるほうが、結果が出る、という研究が少し前に話題になった。
これは期待をせず、与える、ということだろう。統計の話だ。本当はだから、人間に対してもそうあるべきなのかもしれない。
いや、、、でも、それは理屈としてはそうなのだが、それは初対面の人の話だ。言ってみたら。長年一緒にプロジェクトをやってきた人がいたとして、その人が約束の仕事に来なかったら、というかくることは期待しないかというと、基本的には来ることを前提として計画を立てる。初めてのアルバイトさん、しかも全く事前の繋がりもない、とかだと来ないかもしれないことを想定すべきかもしれない。
まあ、そこまで全く繋がりがない人は計画できなすぎるので、何かをご一緒することはあまりない。少なくとも信頼できる誰かに紹介してもらった誰か、ということがほとんどだ。まあそれでも、当日来なかった、とかはあるんだけど、それはびっくりはしたが、そんなに期待もしていなかったんだと思う。
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