#646 最適化とは失うこと/可能性という卵

非常に小さなことでもずっと引っかかっていたことが改善したりして嬉しいという時がある.例えば今自分であれば最近あったそういうことは何かと考えてみるとあるタイムトラッキングツールを使っていて.
そのツールで何かの今現在進行中の行為トラッキングしてる項目から別の項目に移行する時にまあ細かく説明すると難しいんだけれどもまあ一つ引っかかっていた操作というかソフトウェアの動作でここをちょっとスムーズに行かないのおかしいなと思っていた部分があって.
それが1つその自分がしていた操作をふと思いついて変えてみる入れ替えてみたこと全部関係を入れてみたいことそれはもうどのキーを押すのかぐらいの話なんだけれどもそういうことによって非常にストレスがなくなって今まで思っていたこのようにできたらいいなという理想的なある種その自分のイメージに近い形でその行為をできるようになってすごく嬉しいというようなことがあった.
そういった小さな積み重ね小さな変化によって徐々に最適化していく自分というのは嬉しいものでもある.もちろん最適化というのは諸刃の剣であって常に最適化するのが良いもの良いことであるというわけではない.
例えばプログラミングなんかにおいても早めの早すぎる最適化というのは悪であるという格言があるしつまり最適化というのは何かに最も適した形に変化させるということであって無駄な部分を削ることと同義である.
と言うと何の問題があるのかと思うような気もするが何かに最適であり他のものにも最適であるというのは難しい.絶対に不可能でありそのようなものが存在しないとは言わないけれども基本的には一般的には多くの場合は何かに最適化されているということと他のものにも対応できるということは両立しないことが多い.
そこには2つの要素があって加える足すということと削る引き算をするというようなこと.加える要素としては例えばと言いながら何も例えば思いついていないが現在に現在の状態に対してその何かの目的に対して適した特徴というものをどんどん付け加えていくようなこと.
例えば何に役に立つのかちょっと今思いつかないから置いておいて角をどんどん長くしていくとか.何かを大きくしていくとか.それによって何かの目的に対してより適した形状になっているより適した状態になっているということ.
もう1つはその目的に対して不必要な部分を削っていくということ.例えば倉山に暗闇に生きる生き物が視力を失ったりするというのはそういう削る方向の最適化だ.リソースは有限なので視力の代わりに別のものを得ているわけだ.
加えるそういう意味では何かを加えるという部分と何かを失うという削るという部分は同じ程度のリソースの取り合いという意味では背中合わせの関係であることになる.
無駄な部分を削るというのはバッファ余裕であったりとか他の環境に対して対応する能力を減らすということだ.他の可能性を捨てるということでもある.もちろん可能性を捨てることで得られるものもある.
両手いっぱいに無限の可能性だけは持ってずっと生きていってもそこから得られるものは何もない.そして可能性というのはあくまで可能性であって何かそれが達成したものではない.
可能性は可能性のままでは何の価値もない.だから可能性の卵というかまあ可能性自体が卵なんだけれどもずっと卵だけを持っていても何も意味はない.非常に能力があって可能性というものを両手いっぱいに抱えているけれども結局何も成し遂げられない人というのはつまりその可能性の卵というものを持ったまま腐らせてしまった人ということになるだろう.それは非常に悲しいことだ.
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