#647 少しスムーズになる/誰かに任せる

今日も一つ良い改善ができた.ほんの一つの操作だけれどもいつもその流れで詰まってしまっていて例えば A という行為をした後 B という行為をするべきなんだけど それをすぐに忘れて C という行為をしてしまって忘れてたと思って B に戻るというようなこと.
もうずっと それをやってしまっていて つまり B という行為を覚えることが難しいという状態だったんだけれども.けれども多分今日思いついた操作でおそらく スムーズに a という行為の後に b という行為を行うような自分の中の流れができて 多分だけど今後は自動化 自分の中で自動化してやっていくことができるだろう.
話は変わるけれども誰かに何かを任せるということの難しさについて.任せるというのは様々なものを受け入れるということだ.端的に言えば不完全であることを受け入れるということ.
これは技術が高いか低いかということではない.それに自分自身でやれば完全なものができるかというともちろんそんなことはない.ただ自分自身でやるよりももし技術が高い人に依頼したとしても.技術が高い人というものが自分であるという状態を超えたものにはならない.どういうものにしたいのかということが完璧に100%もれなく伝わるということはないから.
自分の脳みその中にあるものを伝えるために言葉を使ったり絵を使ったりもしくは音を使ったりいろんなことをしてコミュニケーションをして誰かに伝えてその誰かが何かを作ってくれるという状態なわけだけれども.
何かの現実を描写する文章というものがある.例えば小説とかでもね風景描写とかその状況描写するとかね.しかしこの世界の解像度は無限だ.無限と言ってしまうと終わりがないということになるのでもちろん本当の意味での最小の構成単位まで分解して言葉で語ることができたらそれは完璧なものなのかもしれないけれども.
とはいえまあ現実的に言えば解像度で言葉で語ることはできない.それにできるだけ近づけようとする努力というのは結局時間を消費するのでそんな時間があれば作った方が良いという時もある.もちろんこれはケースバイケース.
今のパターンは誰かに任せるという時にそれが自分よりそんなことに習熟した誰かに任せる場合のケース.つまり何をしたいのかというコミュニケーション自体を100%完全に行うということは不可能だけれどもしかしそのジャンルだとかその技術には自分よりもその人の習熟している場合.
では自分よりもそのジャンルにおいて習熟していないもしくは技術も高くない人間に何かを依頼する何かを任せるとはどういうことだろうか.この場合も同じように受け入れる必要がある.不完全さを受け入れる必要がある.このことは変わらないだろうがしかしでは先ほどのパターンとどう違うんだろうか.
何をどう受け入れるべきなんだろうか.もしくはしかし先ほどの最初のパターンはコミュニケーションが不完全ではあるという原理的な問題を孕んでいるけれどもしかし技術においては任せて相手の方が素晴らしい上であるので逆に言えば問題はコミュニケーションだけなんだけれども.
後者のパターンの場合は少し問題が複雑になるだろう.コミュニケーションだけが不完全なわけではない.例えば何かができないとする.自分であればそれができるとする.その時にどうするのか.
もしくは何かを依頼する指示するとしても一度自分でやってみないと指示できない部分というものはあるし.やってみることで解像度が上がるということはある.ではそのやってみるということをどう扱うのかもしくはやってみないのかやってみるのか.
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