書く実験の記録

#660 乱雑でいいので生の解像度のデータを残す

こうやって頻繁に空虚なとは言わないけれども、特に内容のないことを吐き出している間、そうは言っても別に愚痴だとは思っていないけれども、かといってすごく意味があったりとか、誰かの役に立つとも思っていなくても、そういったことを書き出している状況ってのは如何なものかいつの時もあるけれども、これは非常に重要なことだというなんとなく直感もあったりする。

AIの話とかをするとついつい話がネガティブな方向に行ってしまうし、だいたい同じようなネガティブな結論に到達してしまうのが問題である。個人的には明るい未来を描きたいと思っているし、そのネガティブな結論に至ることを避けたい。違う道を考えたい、違うロジックを考えたいと思っているところはもちろんあるんだけれども、残念ながら自分は今のところまだその道を見えていない。

いろいろなことっていうのはきっとそのようなネガティブになってしまうような気がしているけれども、きっと未来は変えられると思っていたけれども、結局変わらずに想像した通りのネガティブな未来になってしまうということが非常に多くて。そうすると予測できていた分、予測できていたという自分自身にすら無力感であるとかネガティブな気持ちになってしまって、余計タチが悪い。

むしろ何も気づかず何も知らずにその状態になってしまったという方がまだまだマシなのかもしれない。なぜなら自分はそれを知らなかった。そんなことは自分は知らなかったし、気づいてもいなかったし、予測もしていなかったという言い訳を自分にすることができるから。

ちなみに今これはちょっと間を空けると段落が入るということが分かって嬉しい気持ちになっている。これは新しい音声入力ツールを試しているからだ。何秒くらい開けると段落になってくれるんだろうか。今少し2,3秒開けたけど、それでは段落にならなかったので少し足りないんだなということが分かる。しかし何かのキーを押すことでそこに段落を挿入できたりするととてもいいのだが、そのような機能は今のところないようだし、もしくは私が見つけられていないだけかもしれないが、とにかく見つけられてはいない。

人間にオリジナリティがあるかどうかということについて議論するつもりはない。そもそもオリジナリティとは何かということ自体の定義は難しいからだ。私がオリジナルだと思っていることもまた膨大な学んだ面から生み出してしまっただけではあるし、そこに真のオリジナリティがあるのかというのは自分自身でそれを自信を持っていくことはなかなか難しい。

そのような話でないにしても、現在のAIの仕組みとしてはもともとあったデータをベクトルとして扱って、極めて高次元のベクトルとして扱って、そこからアルゴリズムによって別の結果を生み出しているわけだから、何一つとして真のオリジナルというものはないと言ってもいいかもしれない。そして繰り返しになるが、そのことは人間自身にすら真のオリジナルというものはないのかもしれないという気持ちもある。

だからこのAIが生み出すものに真のオリジナルというものはないのかもしれないというのは、決してそれをAIでやるとかAIが生み出すものを否定しているわけではなくて、オリジナルとは何なのかということについて考えているのであって、そこについては誤解がないようにしたいと思う。

そしてもう少し話を広げると、もともとのオリジナルのデータ、それ自体がオリジナルかどうかわからないと言ってしまっているけれども、元のデータというものは人間が書いた文章であるとか、画像であるとか、そういう人間が作り出したデータであることは間違いがない。非常に平たく言ってしまうと、つまり人間がもともとの文章を書いてそれを。まあ、学習することで新しい文章を書くことができるようになったというのが大雑把な仕組みであって、だからやはりもともとの文章を書いたのは人間なのだ。

そして今私はなぜこのように頻繁に文章を書いているのか、そしてそれは整理されていない文章を書いているのかというと、整理をするということは今やかなりAIが得意な分野になっていて、例えば普段私たちも仕事で議事録であるとかちょっとしたメモであるとか、そういうものを乱雑に書いてそれを整えさせたりとか、または別のメール、仕事のメールを送るための適切な丁寧さであるとか適切なフォーマットの文章を整えるとか、そういうことは今は特にとても得意であるAIは。

だから大事なのはその整えるということよりも、生のデータを残す、生のデータを生み出すということだと思っていて。そういうふうに思ってから私はこの文章をずっと書いているというのは意識して間違いなくやっている。だから整っていることよりもとにかく。雑多でもいいからできるだけ解像度が高く残っているということが大事な時代になっているように思う。

今まであればそもそももちろんストレージの容量の問題というのは現代でもあるし、またそれを乱雑なデータが残っていてもそれを整理するのは大変だからあんまり意味がなかったんだけれども、それって結局人間の知能の限界の話であって、膨大な生データみたいなものからうまく変換して必要に応じてアダプティブに取り出すことができるのであればもともとのデータは乱雑であってもとにかく乱雑であっても。解像度が高く残っているのは良いことだと私は考えている少なくとも現在においては。

2025-04-20

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