書く実験の記録

#670 継続し維持する/久しぶりの人に会う

雨が降っていてひどく天気が悪い。ここのところこんなにも雨が降っている日はなかった気がするので、いよいよ梅雨入りなのかという気持ちにもなるが、よく考えたら今日はまだ5月2日なので、それにしては早すぎる。
ゴールデンウィーク中だから観光や旅行だとか、とにかくレジャーを楽しんでいる人がたくさんいるだろうし、そのような予定を入れていた人もたくさんいるだろうから、そのような人たちにこの雨は気の毒だ。

最近、友人がやっているプロジェクトが10周年を迎えたということを聞いた。何かを10年間続けていくというのはすごいことだ。そして、それが自分自身一人だけではなくて、誰かを巻き込んで10年間続けるということ——これはすごく大変なことだし、難しいことだ。ましてや経済的な持続性みたいなものを含めて、それを成立させるというのはとても難しいことだと思う。

しかもそれが一時的な何かの連続というわけではなく、何かを継続して積み重ねていくという点においては、やはり目を見張るものがある。その始まりにおいてそうしようと思ったこと、あるいはそうしようと思わせたセンスというか考えというか感覚で、自分自身の直感を信じてずっとやってきた。そしてそれを成立させ、その状態を維持してきたということは、なんと素晴らしいことだし、なんと難しいことだし、なんと偉大なことだろうとつくづく思う。

久しぶりにいろいろな人に会うと、やはりいろいろと思うところがある。「いろいろな人」というのは、たくさんの人に会うことが久しぶりという意味ではなく、久しぶりに会う人がたくさんいるということだ。

知ってはいるし、今の時代だとSNSで見かけていたりもするので、まったく長く会っていない気がしない人もいるだろうし、何なら見かけているだけではなくSNS上でやりとりをしている人もいるから、実際どのくらい会っていないのか分からなくなったりする。

会っても全然久しぶりな気がしない一方で、実際に顔を合わせるのは久しぶりだということに気づいたりもする。そういう時は、インターネット——というかSNS——でつながっていることのすごさ、新しさを感じる。

新しいと言っても、もちろんSNSやインターネット自体はすでに社会インフラとして定着して久しいので、テクノロジーとしては「新しい」わけではない。けれども人間の歴史に照らすと、リアルタイムで長らく会っていない人の近況を知り、何なら会っていないことを忘れてしまうような感覚はやはり非常に新しいもので、何か新しい感覚を生み出しているように思う。この感覚に名前を付けられるのではないだろうか。

変わっている人もいるし、変わっていない人もいる。会うけれどもあまり話さない人もいれば、久しぶりだからこそ話が盛り上がる人もいる。昔は仲が良かった気がするけれども今はやや疎遠になってしまった人、あるいはしばらく疎遠だったが久しぶりに会ったことをきっかけに再びつながりが活性化した人もいる。このあたりは、本当に会っている回数など定量的なものだけでは測れず、得も言えない相性のような要素が絡んでいる気がする。

みんなそれぞれの人生を送っていて、もちろん僕自身も僕なりの人生を送っている。それが成功なのか失敗なのかは分からないし、誰にも完全には分からない。誰かと比べれば、その指標によっては「この人の方が成功しているかもね」と思うこともあるだろう。人間が群れで生きる以上、他人とまったく比べずに生きるのは難しいと思う。

「他人と比べるのはやめなさい。あなたはあなただよ」という言説はあふれている。しかし群れで生き、評価が可視化される社会において、まったく比較を意識せずに生きていくのは現実的ではない。そんなものは夢物語であり、そうした言説にもあまり意味はないように思う。

わだかまりが生まれてしまっても、きちんと話すことはない。普段は顔を合わせることもないし、SNS上で絡むこともなければ、あまり見ることもなくなってしまった。たまたま会った時には最低限失礼のないコミュニケーションは取るけれども、それ以上に精神的に踏み込んだ、親しいやりとりはない。相手というものはやっぱりいて、それは初めからそうだったわけではなく、昔はそんなことはなかったはずだが、いつの間にかいろんなきっかけでそうなってしまった相手がいる。お互いにひどいことをしたわけでもされたわけでもないが、ぼんやりとした違和感が徐々に積み重なり、いつの日か疎遠になる——そんなこともあるよな、と思い出した。

2025-05-02

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