書く実験の記録

#678 できる人に依頼すればできるのか

お金があるだけで実現できることはつまらないということを、どこかでそのキーワードというかフレーズを見たことがある。それは確かF1かなんかの車の話だったように思う。だからその文脈においてはそれは正しいだろう。あのような高度な技術的なチャレンジは、お金があるからすぐにできるというわけじゃない。

ただ、お金があるからすぐにできるわけじゃないけど、お金がなかったらできないことではあるし、お金があって、そして時間と情熱と才能とか能力とかいろんなものを注ぎ込んだときにそれができるかもしれないし、それでもできないかもしれないというものだと思う。ああいうチャレンジは。

でも、だからお金があればできるわけではないけれども、お金があればすぐにできる。誰でもできるということではないけれども、お金がなかったらやっぱりそもそもできないんだということは思うわけだ。

今、だからAIによっていろんなものが、少なくとも「いろんなもの」というのはちょっと言い過ぎかもしれないけど、それでも昔よりはいろんなものができるようになって、知的労働、知的行為、まあ推論だよね。推論ができるようになることによって、まあでもその推論の適用範囲っていうものが広いので、実際にいろいろな用途ができるようになっているわけで。

だから、そういうAIの使い方を覚えるということも一つあるし、そうではなくて、AIを使える人に依頼をすればいいのだという話はある。そして、人に依頼をするということにおいては、確かに今までと同じなわけだ。

AIが使えるプログラマーに自分がなる必要もないし、プログラマーになる必要もないし、自分がAIでプログラムを書く必要もないし、AIでプログラムを書ける人に依頼をしたらいいだけなのだ、みたいなのは確かにそうだけど、これは初めに書いた話の「お金があれば切るわけじゃない」ということも一つなのではないかなと思っている。

確かに何かは出来上がるかもしれないし、出来上がらないかもしれないけど、結局そこに足りないのは解像度なんだと思う。解像度だけではないけれども。半分は合っていて、半分は間違っているんじゃないかなと思っているわけだ。

だから、AIを使えるプログラマーに指示をすればいいじゃないか、それは全くその通りで、プログラマーではないとしても、それ以外のいろいろなもの——AIを使える何々をできる人——に依頼をすればいい。AIは使えなくても使えてもどっちでもいいんだけど、とにかく結局それができる人に依頼をすればいいのだというのは確かに合理的ではある。

だけど、本当にじゃあそれで全てが出来上がるし、それでそれが最強の戦略ということになると、それは実際何があればできるかというと、お金と人脈があればよくて、どちらかといえばお金があれば何とかはなるわけだよね。

もちろん、その依頼する相手が世界に一人しかいないような貴重な技術者、貴重な何かができる人であれば、まずその人につながる必要があるし、そしてお金があったとしても、その「世界で一人の人」っていうものは、他にもやることがいろいろあって、もちろん他の人の依頼もあるだろうし、自分自身でやりたいこともあるだろうから、その人に必ずしも依頼ができるわけではないわけだ。

しかし、確かに世界に一人しかできないようなことというものは減っている。一人という言い方のレベルのものは減ってはいないかもしれないけれども、一部の人しかできなかった難しいことというものの難易度が下がっているというのは事実だろうし。

そうすると、そうだな、結局何に違和感を覚えているかというと、その話は結局「お金を持っていたら何でもできるのだ」みたいな話になるわけなんだけれども、本当にそれでいいんだっけ、というか、本当にそうなんだっけということだよね。

まあ、そもそも「でもお金をどうやって稼ぐのか」って話もあるし、あとはやっぱりその「何ができて何ができないのか」、例えばそのAIを使った——使う人に何かを依頼したらできるんだとしても——AIを使った人に何かを依頼したら何ができるかということを知っておいたりとか。

結局それを指示するために、たとえコストに見合わなくても、自分自身がそれをやってみる必要は、やってみることの意味は、やっぱりあるんじゃないかなと思っていて。

2025-05-10

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