書く実験の記録

#679 プロンプトエンジニアリングを人間で考える

自分自身はプロンプトエンジニアリングというものについてはやや否定的で、それはなぜかというと、例えば自然言語で何かを指示する相手として最も一般的なものである人間に何かを指示することについて考えてみよう。

相手が人間だとすると、わかりやすくなる気がするけれども、相手が優秀であればあるほど、もちろんその優秀とは何かという定義、もしくは測り方、何を測っているのか、何を評価しているのかという指標についてより論じるべきものはあるんだけれども、一旦非常に抽象的かつ一般的な概念としての優秀ということにしておいて、とにかく、そうだな、こちらがやってほしいことを実現してくれる度合いが高いということに言い換えるとして、

そういう場合に何かが指示をして何かが実現されるということだとして、それは曖昧な指示とか雑な指示であってもいい感じにまずそのゴールを読み取る。そこからこちらの説明からゴールを読み取るという能力であったり、行間を埋める能力であったり、そしてそこを実現する能力であったり、それらの組み合わせだと思うんだけれども、雑な指示であっても非常にいいものができあがってきたら、完璧なものができあがってきたら、それはきっと指示をする側というのは、その相手を優秀である、その相手の能力が高いと評価するだろう。

そして雑な指示、ラフな指示であればなかなか出来上がらなくて、きちんと指示をしないと、細かく指示をしないと、一つ一つ指示をしてあげないと何かが出来上がらないとすれば、それは前者の例、つまり雑な指示でも実現してくれる相手に比べると、それは優秀、有能ではない、能力がないと感じるだろう。

もちろんこの実現できるかどうかには、いくつかの分解が可能なものがあると思っていて、まずゴールのイメージが曖昧というか、自分自身のゴールのイメージそのものがまず曖昧であるということ。これはまずそもそもゴールが曖昧なわけだね。

だからこの場合の優秀さというのは、自分が思ってもいなかったもの、思ってもいなかったっていうのは、要は自分がゴールをきちんと想像できていないわけだから、クオリティが高い低いというよりは、それが具現化してできているという時点で、それはすごいわけだ。

そして次の段階として、かなり具体的に、十分に具体的に想像ができているが、そのことを言葉で伝えることができていないという場合かなと思っていて、そういうことは正直言って往々にしてある。物事によってそれは違うと思うんだけれども。

達成したい物事によってそれは違うとは思うけれども、例えば非常にそれを言語化しやすいもの、論理的であって説明可能性が高いものというのは、明確に指示がしやすいだろう。

しかし、それが何か表現のようなものであったり、言語化自体が難しいものであれば、どれだけ具体的にきちんと想像ができていたとしても、そのことを言葉というもので説明することは難しかったりして、その辺はもちろん言語化能力によるんだけども。

そもそも言葉では表現することが誰であっても難しいということもあるだろうし、その辺もそのように分解可能だろう。

続く。

2025-05-11

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