#685 会話はふたりでするもの

これはテストです。テストテスト。こんにちは、こんばんは。
いろいろなものが変わっていく中で、人も組織も変わっていくのだなと思う。期待して失望することもあるし、思わずうまくいくこともあるし、この人とはもう二度と仕事をしないと思うこともあるし、やってみたらうまくいくこともある。
昔はよく仕事をしていた人でも、なんとなくお互いの状況が変わって仕事をしなくなるということはよくある。逆に、ずっと長いこと仕事の付き合いをしている人という関係性は、そういうものを見かけると珍しいし、それはすごいなと思うし、お互いにうまく、たまたま偶然進む方向とか進みスピードが合っていたということなので、そのような出会いは非常に稀なものだなと思う。
やはり目指す方向性とかというのは、そのタイミングそのタイミングでやりたい仕事、こういう状態であるみたいなものは、お互いが別にどちらが良い、どちらが優れている、どちらが早いみたいな話ではなくて、やはり方向性とかスタンスとかいろいろなものは変わっていくものだ。
そういう意味では、仕事上の関係というものは、長く付き合うような…なんというか、例えばお付き合いしている相手みたいなパートナーみたいな関係よりは、というか仕事の関係ってパートナーとかって言うけれども、個人的にはどちらかといえば、もっと一時的な関係性、一時的に濃密な関係性を過ごす、そのような相手で、お互いに状況とか都合とかが悪くなったら離れていくような、そういう関係性でアナロジーとして考えた方が合うなと私は思っている。
まあ要はセックスフレンドのようなものだ、と言ってしまえばね。しかしこの言い方はあまり適切ではなくて、なぜならそこには一般社会通念的にはきちんとしたパートナーよりもそちらの方が良くないというようなことになっているが、正直言ってそんなことはどうでもよくて、ここで言いたいのはその関係性の密度とか期間とか何を目指しているのかということであって、一般社会通念がどうこうということを語るつもりはないから、その辺がよりフラットな、その辺がより何かの意味性を持っていないような表現があるといいのだが。なかなか難しいものだ。
そのような意味性、一般社会通念上の善悪みたいなものを取り除くと、個人的には比較対象としてそれなりに腹落ちする部分が自分にとってはある。
全然話は変わるけれども、「弱たり上手」みたいな言葉があって、「弱たり上手だな」と思う人はいる。そして、なぜこの人はこれができているのか、なぜ自分はできていないのかというのは、そういうふうに思うことはあるし。しかしそれは自分を卑下するとかそういう話ではなくて、例えばなんだろうな…例えばうまく今パッと思いつかないけれども、普通にそのやり方を知らないだけ。だからやり方を知りたい。
つまり、あの人はなぜ電車に乗って自分が電車に乗れないのか、というようなことがもしあったとしたら、それは自分がその電車の乗り方を知らないから乗れていないのである。何時に出ていてどういうふうに乗ったらいいのかということを知らないからである、ということは分かる。
だから、何かの、何か実現したいことがあってできない時というのは、そしてそれが何かよく分からない時というのは、結局その情報の解像度が低いからであって、つまり情報の解像度を上げれば良い。そうすると、何が足りないのか、何が課題なのかということが分かるようになるし、それによってどういう方法が取り得るのか、もしくはやはり自分の財産のリソースとか、あるいはもらえないものによってそれがしやすいのか、そういうことはある。
実現したいものとか目標としたいものというものは、例えば何かあるとして、必ずしも自分一人でそれを実現する必要はないとは思うな。何なら、自分一人で実現できることというのは、それはそれで素晴らしいし、やっぱりそうしたいものというのはあるし、それでしか得られないものもあるから、もし自分の人生が無限にあればそのようにしたいことはたくさんあるけれども、残念ながら自分の人生というものは有限でしかないので、本当にわずかな一瞬で終わってしまうような感覚があるし、それにおいてやはりすべての部分において、そしてそのクオリティにおいても、やはりいろいろな人で協力してやるという方が、それがうまくいけば良いこともある。
そうは言っても、本当に絡み合ったものというものを一人で自分一人の脳みその中で作り上げるということでしかたどり着けないものというのもあるから、必ずしもどちらが良いとかどちらが悪いということはないし、もし時間というものとか能力というものが足りているのであれば、一人で作った方がたどり着けるものというのもあると思っている。
しかし、いつでも時間が足りないという感覚というのは、おおむね自分の人生というものがあって、その身近さというものを感じているし、そこに対して「これもやりたいな」と思っていることが、やはり残念ながら自分の能力とかスピード感とか、そういうものにおいては実現できないような場合というものは往々にしてある。
そして、誰かとやるというのは、それなりのリスクを抱え込むということだけれども、それも一生そのリスクを抱え込むのかという話なのか、あくまで一時的な利害関係に基づいて関係性を結ぶのか、ということでいうと、それは別に後者が悪いことではない。
それが一時的な互いの利害関係が一致して、あくまでも一時的な関係性を結ぶということが、全然悪いことではないと考えている。むしろ長期的な関係性を考えると出せないスピードというものもあったりするし、もちろん結果としてそれが長い関係性につながるといいとは思っているんだけれどもね。
話はさらに変わるんだが、そうだな、やはり誰か人に会ってうまく話せる時とうまく話せない時というものはあって、うまく話せているかうまく話せていないかというのは、あくまでも…何というか、もちろん自分自身の中でそれが一方的なプレゼンテーションのようなものであれば、「今回はうまく話せたな」「うまく話せなかったな」「できなかったな」ということはあるのだけれども、それが会話という文脈においては、やはり結局相手ありき、二人の関係性というか、その会話というものはまさにその二人で行うわけで、一人で行うことはできないわけだから、その二人の会話というものがうまくいったのかどうかというのは、自分自身だけでは成し得るものではなく、例えば二日間続けて同じような内容を別の人と話したときに、それが何か会話として非常に盛り上がったなとか、うまく話せたなというふうに思うか、そうではないかというのは、ちょうど最近そういう機会があったんだけれども、本当に相手との相性に左右されるものなのだなと思って、実感することがあった。
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