書く実験の記録

#689 良い記憶と悪い習慣

小さい頃の記憶で、いくつか鮮明に覚えているものがあって、いくつ使って数え上げられるわけではなくて、その都度鮮明に思い出すものもあって、そしてそれが、そうだな、何回か同じシーンを甦らせたもの、何回か同じシーンを思い出す機会があったものは比較的鮮明に覚えているような気持ちになる。

けれども、それは良いものもあるし、悪いものもあるし、恥ずかしい経験もあるし、何かこう失敗をして恥をかいてしまった経験もあるし、まあいずれとも言えない、何だろうな、いくつかその覚えている経験は必ずしもいいものばかりではなくて、まあそういうネガティブなものもあるし、もちろん多分楽しいもの、嬉しいもの、そういう成功体験みたいなものもある。

だからそれから、でもその後の人生にいい影響を与えているか、悪い影響を与えているのかというのはまたそれぞれ別で、成功体験の記憶であっても、そのせいでその後良くない傾向の考え方をしてしまうということもあるだろう。

例えば、何の準備もせずに成功してしまったという経験はもちろん悪いものではないけれども、しかし、じゃあ何も準備をしなくても自分は何とかなる人間なんだと思い込んで、準備不足のまま常に挑むようになってしまって、その後そのような癖がついて失敗が続いているとしたら、それは決して良い習慣ではない。

つまり、一つの成功経験、成功体験が悪い習慣を身につけさせてしまうということもあるだろう。もちろん逆に、一つの成功経験、成功体験が人間がチャレンジする勇気を与えてくれて、結局何かをチャレンジする勇気というか、そこに勇気がいるかどうかという状態すらもまた別の話であって、本来は勇気がなくてもチャレンジできる状態が理想的なんだけれども、それは何かをしようとした時にモチベーションがあるかないかということがよく議論に上がるのと同じで、「モチベーションがないからできません」みたいな話ではなくて、「じゃあモチベーションはどう出せばいいか」という話ではなくて、そもそもモチベーションがなくてもできるように仕組みを作るということ。

楽しくルールを作る、であるとか。基本的に人間は、なもの(?)であって、現状維持をしてしまおうとするものだと思っていて、もちろん一般的には全体としてはそういう傾向があると思っているけれども、個体によってはそこら辺の感覚回路というか、そういったものが壊れていて、今壊れているというか、どちらが壊れているかという話なので、めんどくさいから壊れているというか、他の人と違う部分がある人はもちろんいて。

だから、身体能力に差があることは人によって身体能力に差があることはみんな分かっていて、内臓とかも人によって違うことは分かっているわけだから、脳みそも当然人によって違うわけだ。

脳は可塑性、柔軟性が非常に高くて、他のセンターや他の臓器よりもより大きく変わることができる、変わる余地がある。けれども個人差がない、もしくは個人差を覆すほどの、もしくは個人差を無視できるほどのそれらの可塑性があるのか、柔軟性があるのかと言うと、そこは疑問の余地があるというか。

まあそもそも、そこは例えば筋肉というものとの比較するということ自体が難しいので、特にこれは何かエビデンスベースの話ではなくて、なんとなく、なんとなくのことを言ってるだけ。だけど、なんとなくの文章なわけだけれども。

人は身体の違いというものに比べて、脳の生まれつきの違いというものを見えないがゆえに軽く見てしまいがちなのではないかということと、生まれつきの違いというもの、等を肯定的な違いというものが、それぞれ生まれつきの違いというもの、無視できるほど肯定的な変化というものは大きいのかと言うと、この表現は難しくて。

後天的な変化は非常に大きいけれども、では生まれつきの変化は無視できるかと言うと、もちろんそうではないように見受ける。世の事例を見ても思うし、まあ自分自身に関して言っても、今の自分のその性格であるとか、その行動であるとか、その行動を生み出すいろんな考えであるとか、そういった部分が後天的に得たものなのかというか……この辺はなんか書きたい話と違っている気がするので、終わり。

2025-05-21

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