#670 欲望がなくても心臓は動いている

この人と話すとなんだかいつも疲れるなあということがあるとする。疲れる理由は色々あるだろうけれども、例えばいつもネガティブな話をされるだとか、まあわかんないけど、いつも自分の話を聞いてくれない、相手の話ばかりになるとか、まあ他にも何かいろんなものがあるだろう。
話している時間というものはあまり楽しくない、もしくはあんまり自分にとってそれをしたいと思わない。結果としてね、それは自分としてはそれをしたいと思わないという状態になり、したいと思わないにもかかわらずそれをしているということによって、まあ我慢をしてるわけだから、結局疲れるという感情として現れてくるのだろう。
自分も誰かに対してそのような話し方をしてしまっていないか。もちろん関係性にもよるし、おころ(※不明瞭な表現)忘れたなと、まだそうではない中、気心が知れた親しい仲であるということと、まだそうではないということでとは全然違うので、そういう状態は全く違うので、必ずしもこのような会話が良くて、このような会話が悪いということは言えるわけではない。むしろ結果のみによって測られると言ってもいいだろう。相手にもよるしね。
その相手によってこの話はお互い苦痛ではないし、この話はお互い苦痛である、もしくはどちらかにとって苦痛である、だろう。
ところで、技術と言っても、もしくはテクノロジーと言っても色々な分野があるので、その全てに詳しい人というのはいない。その人はきちんと調べて発言するということはできるけれども、結局でもそのきちんと調べるっていうのも限度はあるというか、例えばずっとそのことをきちんとして長いことやってきた専門家のレベルに、同じレベルに短時間きちんと調べたところで追いつけるということを考えるとしたら、それ自体は間違いであって、その短い時間の中でいくら調べたところで本当の専門家に、本当に専門的なコードに、専門的な分野において追いつくことはない。
もちろんだからといって何もしなくてもいいわけではなくて、その人と会話するために、そしてそのどのような求められる場、何が求められる場なのかということによって必要な前提となる知識というものは違うだろう。だから過剰認識する必要はないが、過剰に無知であっていいわけではないというふうに言えるのではないだろうか。
さらに話は変わるけれども、例えばこんな風に独白風なエッセイと呼んでもいいのかよく分からないが、まあとにかく自由な形からエッセイなんだろうみたいな、それこそ自分はその分野について詳しくはないが調べてみたところ、まあエッセイとは決まった形式があるわけでもないし、自由なフォーマットで書かれている文章であるみたいな感じだったので、これをエッセイと呼ぶ、エッセイ的な要素がある、もしくはエッセイの一種であると呼ぶ。
けれどもこのようなどこか独白風の文章をずっと書いていると、もし誰とも会わず誰とも話さずにこのような文章を書いていると、何かおかしくなっていくような、おかしくなってしまうのではないかと思う心配をしている。
インターネットの情報はなかなかに刺激的で、それはもちろん見るものによって違うんだけれども、例えば多くのメディアであったり、まあ例えばSNSに流れてる情報というものは、インプレッションを集めるためという動機が多分に含まれるので、どうしても多少、急がない範囲だとしても誇張された表現であるとか、もしくはそもそも嘘であるとか、切り取られた情報であるとか、いろんなものがある。
別に悪意があるものでないにしても、個人が少しだけ「これがみんなに届いて欲しいな」と思って書いたものというのはたくさんある。何かを発信する時に、できればみんなに届いてほしい。例えば自分が作った何かというものを発表する時に、やはり誰かに多くの人に届いてほしい、そして多くの人に見てもらって知ってもらって、そして気に入ってもらいたい。そしてできればさらにそれを誰かに紹介して欲しいということを、偽装的には当然思いながら何かを発表したりするわけなので、そこには当然、ただそこにある文章があるだけでいいという心よりは、もう少しある種の下心というか、別にそれは悪いことではなくて普通のことだと思うんだけれども。
とにかく善悪がある、善悪の話とは別で下心のようなもの。下心と言ってしまうとちょっと問題だが、何かこう、ただ文章がそこにあるということよりは、自分の欲望がそこに乗っていると思う。
そして上にも書いたように、「善悪の話とは別」というのは大事なところで、全ての欲望というものが悪であると考えるのは無理があると考え、思っていて、全ての欲望が悪である、全ての貪欲が悪であるとするならば、この世界というものは——世界というもの、そんなあるわけだけど——まあ例えば、生物の行動を誘う仕組みの一つとして、それは感情というレベルなのか、もしくは感情という複雑さなのか、何かの行動を促すシステムの一部、もしくはその総称だと思うと、別に欲望は悪いものではない。欲望はなくてはならないものだと思っている。
心臓が動いているわけだけれども、欲望はなくても心臓は動いているわけだけれども、なければ動かないものというのもあって、欲望がなければ実現されなかったもの、欲望がなければ動かないものというものもある。
ある映画の有名なセリフで「貪欲は善である」というものがあるが、まあ欲望を持つということと貪欲というものは別、意味が全く同じわけではないし、貪欲というのは当然、そのただ欲望を持つということより、より強いニュアンスが含まれているから、それが善であるか悪であるか、もしくはそれを善とみなすかどうかということはその場によって違うけれども、だから「貪欲が善であるかどうか」というのは、まあケースバイケースだよねと思うけれども、欲望はあると個人的には思っている、少なくとも。
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