#682 いい人

いい人になるとは何か。いい人って、まあ「いい人間」ということだ。では、「いい」とは何だろうか。他人と軋轢が起きない人、誰とでもうまくやる人。
いい人たちの中でいい人でいるのは簡単だ。まあ、比較的簡単だ。問題は、世界にはそういう人ばかりではないということ。いい人たちの中に閉じこもっていい人でいるのは難しいことではないんだけれども、外部と接触する場合に、その「いい人ではない人」と接触する場合に、どのように振る舞うことができるのだろうか。
論理が通用しない、もしくは違う論理でできてる人というのもいるし、論理を無視してくる人もいる。もちろん、どちらが正しいかということに決着をつけるまで戦うことはできる。第三者に評価させても、こちらが勝つだろうということもある。たくさんある。
しかし、それは「いい人」なんだろうか。逆に言うと、「いい人である」ということは、「いい人ではない人」と接触した場合、どう振る舞っている人が「いい人」なんだろうか。
他人のことを悪く言わない人というものがいるとして、しかしその人は言葉では言わないけれども、結果的に他人を雑に扱っていたりするかもしれない。都合がいいように使っていたり、少なくとも相手にそう感じさせていることもあるだろうし、酔っ払って絡んだり、酔っ払って記憶がないということを盾に暴言を吐いたりするかもしれない。
もしくは、あまり褒められたことではない行いをしているかもしれない。しかし、それは酔っ払っているという部分で人格が切り替わっているということにして、記憶もないということで果たして許されるのだろうか。果たして、それは「いい人」なんだろうか。
本人の記憶がないからと言って、他の人もそれを覚えていないわけではないし、記憶がないけれども何かをしてしまったらしくて「申し訳ない」と謝ったところで、その謝るということを何度も繰り返しているとしたら、始める時点ではシラフなわけで。
自分は暴言を吐いてしまうことがある、他人に迷惑をかけてしまうことがあると分かっていながらお酒を飲み始める。その瞬間のそのシラフの人間の判断、もしくはその判断をする人間は果たして「いい人」なんだろうか。
結局、他人との軋轢は避けられない。軋轢を避けようとしたら引きこもっているか、もしくは、そうだな、「いい人な、いい人の中」に引きこもっているか、もしくは一人でいるか、もしくは「いい人ではない人」の主張を受け入れるんだろうか。
「いい人ではない人」の主張、他人の主張を受け入れるのが「いい人」なんだろうか。戦うのは「悪い人」なんだろうか。
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