書く実験の記録

#698 AIが全てに答える世界での最小の贈与関係のあり方

誰かに何かを聞いて質問して、誰かに何か教えてもらう。このような行為は誰かに負担を強いることだ。その質問した相手にコストを払ってもらうということだから、そのことを気にしすぎると質問するというのはしんどいことになる。相手の時間を奪うというのは申し訳ないという気持ちになる。

うまくできる人もいるし、うまくできない人もいる。そのことをどう捉えるのか、誰かに何かを聞いて教えてもらうということをどう捉えるのかという部分は、おそらく人によって言語化できない部分で考え方が違うものを持っていたりとか、それは本人たちはもちろん、自分も含めてそのことを意識していないし、うまく意識できていないのだと思う。

けれども、それがうまくできる人、得意な人と苦手な人ってのは、何か根本的なそのことに対しての考え方の違いがあるように思う。それが何によって生まれたものなのかと言うと、幼少期の経験であるとか、まあそれまでに至る様々な経験が、そのことを、その考え方、その感じ方を形作っているのだろう。

ところで、まあそのようなことが、誰かに質問するということがうまくできない人が、以前であれば頑張ってGoogleで調べるということだし、今であればちょっとGPTに聞く、みたいなのがあるわけだ。「ググレカス」という言葉があるように、何でもかんでも人に聞けばいいわけじゃない。ググればすぐわかることを誰かに聞くっていうのは、その誰かの時間を奪うという意味で「悪」だ。それは自分もそう思うし、聞く側としてもそう思うし、聞かれる側としてもそう思う。

そのようなことに誰かの時間を使うべきではない。しかし、それは、そこには失われるものもあるのではないだろうか。例えば、今まではチャットGPTに聞いてわかることというものよりも、Googleに検索してわかることというものは情報としては少なかった。これは技術的に正確な発言ではないということは分かりながら言っているけれども、まあその絶対的な情報量とか、あとはそのどちらが正しいことを正しい答えにたどり着くのかということはまああるけれども。

とにかくその人間というものが簡単に引き出せる情報量というものは、たくさんの情報を得られるより、様々な情報を得られて、さらにその受け手のレベルに合わせた説明などもさせることができることも含めて考えると、とにかく最終的にその使う側、受け手が得られる情報が自然言語を介したもの、つまりここで固有名詞として例えでさっきから言ってるもので言うと、チャットGPTを使った方が最終的に得られる情報が多いというものは、まあ事実だと思う。

もちろん今はまだいろんな情報の問題があって、ハルシネーションの問題もあるし。ただ、これはまあ抽象的に捉えて、その一人の人間が(一人じゃなくてもいいんだけども)とにかくある人間が何かの情報源から何かの情報を引き出すことができる手段として考えると、それがより良いものになっているというのは事実だと思う。

そうすると、これがもっと進んでいくと、誰かに聞く必要はもはやなくて、まあいわゆるフィクションに出てくる全てのことがアーカイブされている知識の倉庫みたいなものになってくるわけだけれども、そういう存在にもしなっていたという思考実験として考えていくと、そういう存在があった場合は、その「他人に聞く」ということの必要性があまりないということになる。

これも補足しておくと、人々の中にしかない経験というものは多分残り続けるだろうし、だからこそそういうものの価値がより上がっていく。そのようなことを誰かに聞くという部分はあるからなくなるわけではないんだけれども、そういう多くの知識、そしてある程度一般化された経験、その人しか本当に持っていない経験以外はだいたい何でもその知識の倉庫に質問すれば出てくるとすれば、「誰かの時間を奪うのは悪である」という考え方に基づけば、そちらに聞いた方が良いということになるので、誰か人間に聞く機会というものはどんどん減っていくことになる。

ということは、これは「何かを質問するということは誰かの時間を奪うということである」という考え方に基づけば良いことになる。そこで少し不安になることがある。

誰かに質問をして何かを答えてもらうというものは、一番簡単な贈与の形だと思う。何かをちょっと手伝ってもらうということと、何かを教えてもらうということ、どっちが一番シンプル、一番「右もある」な形なのかっていうことの議論は一旦置いといて、今、私の考えの中では、何か行為をするというよりも、まあ頭の中にある何かを少し提供する、共有するということは、物理的な実世界の何かを変化させるわけではないという意味で、何かを行為するのよりもう一方簡易な、もう1個シンプルかつ最小の行為である、「答えてあげるというもの」を最小の行為だと仮定しよう。

で、そういったものがどんどん減っていくというのは、なかなかこう関係性の喪失みたいなものに繋がるのではないかと思っていて。まあ誰しもいきなりものすごく大きなことを誰かにお願いするのは、関係性が出来上がっていないと難しい。じゃあどうやって関係性を紡いでいくのか、作っていくのかと言うと、それは小さな関係性を積み重ねて大きな関係性につなげていくということになる。

そしてそのためには、少し何かを会話したり、何かを聞いて何か教えてもらったり、何かを手伝ってもらったり、そうやって少しずつスケールさせていく。大きなものをしていくということが、一番順当な、一番一般的なものだと思っていて、その始まりのところ、誰かに何かを聞いて教えてもらうっていうことが、もしこれが全てをAIが代替した場合ってのは、その関係性の入り口、最初の一歩が減ってしまうのではないだろうか。

何でも自己解決できてしまう人というのは、関係性が広がっていかないという問題があるように思う。だから私もどちらかといえば、いろんなことを人に頼るのは苦手なタイプで、だからこそうまく人に頼って、うまく人と関係性をつないで、そしてより大きかったり、より素晴らしい活動を誰かとするという関係性とか状態を作っていくことが得意な人たちを見ると、羨ましいなと思うことがある。

それは自分自身がそのことが必ずしも人より秀でている、得意であるという意識がないから、まあそう思うわけだけれども。

あらゆるその「何かを聞いたり、教えてもらったりするという行為」が全てAIが代替してくれる時に、そしてAIに聞けば分かることは人間に聞くのは悪であるという価値観というものを加えて考えると、そうすると、とにかくまずいろんなことをほとんどのことをAIに聞いて自分自身で解決ができるようになる。

しかしそのことが必ずしもいい影響を与えるわけではないのではないだろうか、ということが今日のテーマだったように思う。

全てをAIが回答してくれるようになったとしても、人と人との関係性を作るということが必要であるだろうし、じゃあその代わりの方法、代わりの入り口として適切なものは何なんだろうか。人間関係を作ることがより苦手な人が増えていくのではないだろうか。

閉じこもって解決してしまうこと、そして実際解決できてしまうことが増えていく。けれどもどこかでその次の段階、人と人が協力しなければいけないという時に、そこには問題が生じるのではないだろうか。

そして問題が生じると、じゃあそのコミュニケーションもAIを介してやろうということになって、全ての会話をあくまでも人間はAIと行いつつ、その人間と人間の間をつなぐのはAIである。人間同士は直接コミュニケーションを取ることはないということも、例えばその仕事、リモートワークの仕事の関係性とかにおいては、そういう実験ももしかしたら可能なのかもしれない。

2025-06-22

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