書く実験の記録

#699 まだすべてができると思っていた朝のように

朝の方が体力もあるし、頭も冴えているし、何かをするには適しているはずなんだけれども、しかし夜の方が集中できるような気がする。それはおそらく残り時間が少ないからであり、諦めることができるからなのではないだろうか。

もちろん夜の方が集中できているというのは、必ずしもそれが朝よりもはかどっているかどうかということで言うと、必ずしもそうではない。どういうことかというと、あまり捗っていないように思える朝の時間を使って何かをするということと、同じ時間を使って夜に何かをすること、それが朝に比べて夜の方が集中できているように自分は感じたとしても、朝よりも仕事がはかどっているとは限らない。単純に眠くてあんまり頭が働いていなかったりするかもしれないしね。

気づかないうちに自分が集中してると思っていても、朝よりは頭の量、つまり脳みそのスペックが出せていない可能性はある。しかし、ここで私が言いたいのは、朝の方が当然体力もあって、頭もすっきりしていて、眠くもない。もちろんこれは人によるんだけど、当然体力が回復していて頭が冴えている時間の方が捗るはず、夜よりもはかどるはずだ。夜はもう眠いし、疲れている。だからそんなに捗らない。

けれども、どうにも朝、今うまく、その、要はスペックは高いけれども、それがうまく働いていないということだね。ポテンシャルはある。朝の方がポテンシャルはある。だけれども、それがうまく働いていなくて、夜の方がポテンシャルは低いんだけれども、それがうまく働いているということだ。

大事なのは朝のポテンシャルを活かすことだ。夜はポテンシャルが低いのになぜうまくいってるのだろうか。これは初めに書いたように、残り時間が少ないからそうできているのではないかと思う。

朝や昼にうまくポテンシャルを発揮できない理由というのは、集中できていないというようなことを書いたけれども、その集中できていないということをより掘り下げると、要は注意散漫になっている。頭も体もまだ動く時間帯にもかかわらず、なぜポテンシャルは出せないのか、集中ができないのかと言うと、あまりにも多くの可能性を持ってしまっているのではないか、というのが私の推測だ。

つまり簡単に言うと、朝はまだ時間があって、たくさんやれることがある。「今日やらなきゃいけないな」ということはいっぱいあって、「あれもできるし、これもできる。うまくやればこれもできるかもしれない」。そうするとまず「うまくやるための計画を立てよう」「完璧な計画を立てることができれば、完璧な一日が過ごせて、完璧にいろんなことができるはずだ」「できるだけたくさんのことをやろう」。そんなふうに思って、計画をすること自体に時間を使ってしまったり、もしくは何かをやっていても「本当にこれをやるのがベストなんだろうか」「もっと別のことをすると一日がうまくいくのではないか」「こっちを先にやった方がいいんではないか」とかいろんなこと思うわけだ。

そうやって注意散漫になっていって、集中が削がれていく。あれをしたり、これをしたり、いろんなことをしようとしてしまったり、いろんなことを実際にしてしまう。

しかし夜になると、もう一日の残り時間はあまりない。できることはあまり多くない。選択肢は多くない。そもそも全てはもうできない。うまくやったって一時間か二時間でできることというものは限られているので、計画もあまり立てても仕方がない。あまり深く考えずに、完璧にやろうとせずに、とりあえず何かできそうなことをやる。そのような心境の時の方が、その一時間や二時間というものは、なんかより良いものである可能性みたいな、そういうものを捨てることができて、うまくその一時間二時間に集中することができたりする。

でもこれは朝からでもできるはずだ。できればそういうふうにうまく一日を過ごしたい。だけど朝はまだ、いろんなことが「上手い計画を立てることができたら、うまい一日を過ごしていろんなことができるんじゃないか」という希望があったり、そこに誤った幻想を見てしまって、もしくは誤った期待をしてしまって、そういうふうに考えていろいろ考えて、何もかも手につかなくなってしまっているというようなことはあるだろう。

そしてこれは人生も同じなのではないかと思うことがある。年を取ってくると、人生の残り少ない時間に、おそらくもういろんなことをする時間はもうなくて、残念だけどいろんなことはもうできなくて、全てのことは叶えることはもうできなくて、そのことに迷ってる時間ももうあまりなくて、何かに集中できるかもしれない。諦めて今できることをやる、残りの時間でできることをやる。そういうふうに集中することができるかもしれない。人生に集中することができるかもしれない。

何かをする毎晩、何かをするという時は、「まだ翌朝時間がある」と思ってやっているけれども、残念ながら人生の老年においては、その最後に残された時間というものに翌朝はない。

そのことを思うと、だから本当は朝から何かを集中して行うことができると一番いいように、人生においても年を取る前に、老年の残り少ない時間でいい感じで諦めることができて、何かに集中して取り組むことができるかもしれないが、その時はもう頭も体も衰えていて、十分な何かを行うことはできないという状態になる前に、時間があるうちに何かをきちんと選んで、何かに集中することができるかどうか、というようなことと同じなのかもしれないなあと思ったのだ。

2025-06-23

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