書く実験の記録

#708 理由の不在とモヤモヤ

例えばある人が遅刻してきたとしよう。怒りや腹を立てるということについて考えてみたい。

例えば、何かの待ち合わせに友人が遅れてきたとする。そのとき、自分が腹を立てるかどうか。それは、「自分」がどうこうというより、「何に対して腹を立てているのか」という点に関係するのではないか。人によって、「これには腹が立つけど、これはそうでもない」という基準が異なる。

こうした違いが、感情の動きに表れてくる。それに気づいたことが、今回この文章を書き始めたきっかけでもある。

ヒューマンエラーについても同様だ。人間は計算機と違ってミスをする。もちろん少ない方がいいが、完全に避けることは難しい。だからといって、そのミスに対して怒っても仕方がないと、多くの人が思っているのではないか。

たとえば朝寝坊してしまった場合、それ自体には怒っても仕方がないように感じる。しかし、それが10回も続くとすれば、問題は「寝坊したこと」ではなく、「なぜ繰り返し寝坊が起こるのか」という原因のほうにあるだろう。つまり現象ではなく、それを防ぐための仕組みや対応の欠如が問題となる。

例えば、サイコロを振って出る目に理由を求めることはない。ランダムであれば納得できるが、もし偏りがあるならば「なぜそうなるのか」を知りたくなる。それが意図的な仕組みによるものならば、原因を探るべきだ。

話が少しそれたけれど、重要なのは、「分かっていて、それに対策しないこと」への苛立ちだ。酔っ払って人に絡む癖がある人がいて、何度も謝罪を繰り返す。ではなぜ、また酒を飲むのか? 迷惑をかけるとわかっている場面で、なぜ酒を飲むのか?

お酒を飲む決断をした時点では、まだシラフであり、判断できる状態だったはずだ。その時点でなぜ止めなかったのか。ここに強い苛立ちが生まれる。

ただ、これは別に酔っ払いの話や寝坊の話が主題ではなく、もっと一般的な事象について広く考えたいということなのだ。

2025-07-28

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