書く実験の記録

#357 謝罪なき謝意と日常の矛盾

困ったことになった.という始まりがふと頭に浮かんだ.従って実際に困っているわけではない.申し訳ない.

申し訳ないと書くときにその前にすみませんという言葉が頭に浮かんだ.しかし状態これは変換が難しいな.だであるのような口調にすみませんというものが混ざると何か違和感があった.

困っているわけではない.すいません.

困っているわけではない.申し訳ない.

これはもしかしたら今自分が感じてる違和感というのは間違っていて,本来の意味的には別に混ぜてもいいのかもしれない.そもそも自分も今前者も必ずしも間違っていると思っているわけではない.

ただなんとなく自分の中ではその丁寧さの組み合わせとしてややばらつきがあるように思った.違和感を持った.

日常においてもこのような細かい話ではなくてもなんとなくレベル感が揃っていないな,リュードが揃っていないなということがある.

粒度というのはなぜか上の文ではカタカナに変換されてしまったがカタカナのそれが何を意味してるのかよくわからない.まあ置いておこう.

話を戻す日常において何かそういうレベル感が揃っていないというものがどのくらい気になるのかというのは個々人によって大きく乖離があるものだろうと思う.

そのレベル感が揃っていないという言い方もできるかもしれない.

例えば,と言ってみたものの良い例えが思いつくわけではないのだが具体的に言うと何だろうな.まあこういう言葉のレベル感であったりとか,まあこっちを漢字にするんだったらこちらも完全にした方がいいんじゃないかなみたいなこと揃えるとか.

完全ではなくて漢字ね.

デザインにおいても何かコツとこっちは揃えた方がいいんじゃないとか,アニメーションか何かを作る時にも揃えた方がいいんじゃないとか要は一貫性を色々考えてしまう.

人生においてもと言うと大げさだな.普段の生活においてもなんとなくいろんなものを揃えたい整えたいという願望は誰しも多かれ少なかれ持っているものだと思う.

ただそれがあまりにも行き過ぎていると普段の生活がいろいろしんどくなるし,そこそこにしておきたい側面もある.

ただ病的人も思えるようなこだわりみたいなものが発揮されたアートやデザイン作ったものなんかを見るとやっぱりそういうこだわりが一線を超える素晴らしいものを作り出す時もあるように思う.

残念ながら多くの人は年を経るにつれてあまりそういうことにこだわっている時間もなくなってしまったり,そういう気力や体力いや余裕がなくなってしまったりすることもあるだろう.

一方で若い頃には見えていなかった細かい部分というものが経験を常につれて見えてくるようになって,経験を積むにつれて見えるようになってきて,その道を極めた極めてこだわりが強いものづくりというものをできる高齢の方もおられる.

どちらに進むのかどちらに進んでしまうのかというのは,何によって決。のかよくわからない.そもそもそれは選びうるものなのかどうかもわからない.

あーしまった時間が過ぎていた.

2024-04-07

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