#713 ずっと、やっている

やらないよりはマシだと思ってやっていることはある。私もいくつかやっていることはある。最近、「永遠の初心者」というキーワードを思い出して、続けることと、永遠の初心者であってしまうということ、その関係性について気になってしまった。
そもそも「永遠の初心者」というのはどういうことかというと、調べてはいないが、ここでは仮に私の考えている定義として、「永遠の」ということなのでずっと続けているということ、「初心者」ということで続けているにも関わらずずっと上達しないままである、という状態だとする。まあ、概ね間違ってはいないだろう。
そして、そもそも永遠の初心者じゃダメなのか、ということもある。趣味なら別にいいだろう。そして自分が楽しければ。例えば、料理が趣味で、しかしどうにもずっと初心者の域を脱しないとして、しかし永遠に続けている。そしてそれは楽しい、のであれば別に問題はないだろう。実害もないし、誰かに迷惑をかけているわけではない。そして何より、自分自身は楽しいという前提なので、そうであるならば自分にも迷惑をかけていない。このケースでは別に問題がない。他人がどう思おうとも、本人が楽しければ別に良い。
したがって、この「永遠の初心者」が問題になってくるのは、本人は別にいいのだが、他人が勝手にそう思っているというのが一つのパターン。もう一つは、本人も気になってしまっているというパターンだろう。
何か目標がなければ別に続けていて良いのだ。料理が上手くなりたいと思うと、料理を続けていて上手くならないと、目的を達成していないことになる。しかし「料理を続けたい」というところに目標を変えると、また違ってくる。
もちろん、何かを続けるのは簡単なことではないので、「上手くなりたい」という目標と、「続けたい」という目標、どちらが簡単とか、どちらが高い目標かはわからない。10年間毎日何かをするということと、短期間に一定の(もちろんそのレベルがどのレベルを目指しているのかによるのだが)何かを目指して達成して終わるということ、どちらが難しいかというと、それはそもそも異なる難しさだし、もし比較するとしても一概に言えるものではないだろう。
したがって、どちらが難しい目標かということではないし、続けることが目的とすることが簡単というつもりはないが、しかしそれは異なる目標ではある。
続けるということが強迫観念のレベルになってしまっている場合には、続けられないということがとてもつらいことになる。何かを達成するということがそうなってしまっている場合もあるだろう。やはり、どちらが簡単かとは言えない。
しかし、上達するということには練習量が一般的には必要で、そのためには続けるということは一定の助けにはなる。実際に「量が質を凌駕することは多々ある」という研究はあり、ある実験によると、「質の高いものを作れ」と言われた実験群よりも、「たくさん作れ」と言われた実験群の方が、結果的に質も高くなったという結果もある。だから基本的には、まずは継続が第一歩だと思っている。思っていた。
しかし、続けてはいるがどうにも上手くならないな、というものもあり、そしてそれで良いとは自分で思えないものもある、ということについて、「永遠の初心者」というキーワードを聞いて、考え始めてしまった。
コメントを残す