#737 人間もまた、揺らぎながら動く装置である

どうにもやる気が出ない時がある。やる気が出ないということ自体に対しては、いろいろな考え方があると思う。
例えば、そもそもやる気があるかないかによって、何かができるかどうかっていうのは左右されるべきではない、という考え方がある。人は深くやるのである。やる気があろうがなかろうが、とにかくやるのであるということもある。
また、そもそもやる気があるかないかに左右されるようなシステム自体が良くないから、やる気があろうがなかろうが実行できるようなシステムにすべきである、ということもある。
しかし、それはある人間を機械として捉えている。まぁ、私も人間をある種の機械であると捉えているところはある。けれども、それは感情とか考えとか、生物としてのいろんな揺らぎみたいなものも含めて、それ一つの整体的な有機的な部品で組み上がった一つのシステムであると捉えている。
もしくは、例えば何かを考えていたり、何か感情があったりとか、「今こういうことを思っている」みたいなことも含めて物理現象だとは思っているので、そういう意味で私は哲学的ゾンビを信じているというか、「自分」というものの脳物理状態がまったく再現された存在というものがあれば、それは自分と同じなのではないかと思ってしまう。
「自分の自分が唯一である」ということはないような気がする。
しかし、まぁ実際には実行されていない。その自分自身という機械の状態を含めて、すべてをコピーする方法は今のところないと思うし、もし遠い未来にそれが生まれる可能性があるとしても、多分それは「自分」ではないと思っている。
そういう意味では、おそらく自分が生きている間というのは、自分は唯一の存在であるということになるだろう。
いずれにしても、私自身は人間をある種の仕組みである、そして物理的存在であると捉えているから、それはシステムであり機械であるということになる。
けれども、それはいわゆる一般的な意味での「機械」、つまり「繰り返しというものが得意で、同じ動作を何度でもできるような揺らぎがないもの」として捉えているのではなく、あくまでも「揺らぎはある」という前提である。
しかし、どんどん話はそれていくのだけれども、機械には揺らぎが存在しないというのもまた幻想であって、人間というその物理的存在に揺らぎがあるように、機械というものにもまた揺らぎは非常にある。
それは人間よりは少ないのだけれども、しかし実際にハードウェアを作ったり使ったりしている人からすれば非常に重要なことだと思う。それは精密なレベルになればなるほど顕著だけれども、機械もまた対象に揺らぐ存在であり、それをいかに制御するのか、その揺らぎをいかに制御して同じ動作をさせるのか、というのはなかなか難しい問題だし、そこに機械のエンジニアたちは心血を注いできたとも言えるだろう。
これは携帯に試しに音声入力をしてみている。携帯というか、スマートフォン、iPhoneに対して音声入力をして文章を書いてみるテストである。
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