書く実験の記録

#742 タイパの余白にあるもの

一時期騒がれた「タイパ・コスパ」みたいな考え方があって、まあもちろん今もなくなったわけではなく、現在も存在している。これは、実行する人もいるし、それに対して非常に批判的な意見や感情を持つ人もいて、その辺の考え方の違いについて話題になったように思う。

私も、例えば多くの人がそうであるように、そういったものに対して違和感を持つ部分もある。しかし、自分の生活において広い意味でそういった側面や行為が一切ないかと言うと、やはり「そういう側面が一切ない」とは言えないだろう。

先に断っておくが、これは著作権の議論には踏み込まない。それは良くないという前提であり、著作権の侵害が良くないという点はその通りだと思う。その話は置いておくとして――なぜこれを思い出したのかと言うと、朝起きたときに見たい動画が一つあったからだ。

これはまた議論のあるところだが、特に何かのためになるものではない。つまり娯楽やエンターテイメントに属する動画である。そして、娯楽やエンターテイメントに意味がないとか一切学びがないかと言うと、そんなことはない。しかしその話も一旦置いておこう。

とにかく私はその動画を見たかったのだが、朝の時間は貴重なものだと思っている。なぜかというと、朝の方が体力もあって元気だし、頭も働くし、その日の始まりの時間だから、夜の時間よりも貴重だと考えているからだ。……どんどん脇道にそれてしまうが、とにかくそういうことだ。

それで、その動画を見ようとしたときに「夜に見ればいいんじゃないか」という気持ちもあった。しかし同時に「どうしても今見たい」「朝のうちに見ておかないと時間がなさそうだ」という気持ちもあった。そんな自分に対して「まあ朝だから」という言い訳、あるいは許可を与えることにした。

朝起きたばかりで、とりあえず歯を磨いたり、朝ごはんを食べたり、毎朝飲んでいるサプリメントを飲んだりする時間はある。そうした習慣的な行為はスマートフォン片手に動画を見ながらでもできる。どちらかに強く集中しなければならないような場面に差し込むのは間違いだが、歯磨きなどはルーティン的にあまり頭を使わずにできる。だから動画を見ながらでも大きな問題はない。

そうやって非常に片手間に、雑に消費していくわけだが、これもある種「早送りで動画を見る若者たち」が批判される文脈にある「タイパ・コスパ」的なものと、完全には切り離せないと思う。

なぜなら、自分もまた早送りで動画を見ることが全くないわけではないからだ。例えばYouTubeを早送りで見ることもある。情報の密度や文脈、リズムが重要なものは時間通りに見ることが大事だと思う一方で、技術を学ぶようなものは「理解できれば速度は関係ない」と考え、少し早送りで見たりもする。それは特に問題がない。

同時に、娯楽的な動画を見るときに「負担を軽減したい」とか「これは朝だからいいだろう」といった自分への言い訳や理由付けをしている部分がある。それは「タイパ・コスパ的な行動」と近しいが、動機は少し違う。とはいえ、そもそも「タイパ・コスパ的な発想」自体も、こうした感覚から始まっている部分があるのではないか、と考えたのである。

2025-09-13

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