#753 こんにちは。今日はいい天気ですね

こんにちは。今日もいい天気ですね。何か、例えば音声入力のテストであるとか、そういうダミーの音声、何か声を発さなくてはいけない、とりあえず何でもいいから声を出さなくてはいけない、言葉を言わなくちゃいけない、文章を言わなくてはいけない時に、私はそのように言う癖がある。
これはマイクテストなどの時に「マイクテスト、マイクテスト」とかっていうのもそうだし、音声入力の時に「テスト、テスト」と言ったりすることもあるんだけれども、より実際に近い文章として何かやろうとすると、ついつい癖で「こんにちは。今日はいい天気ですね」と言ってしまうような感じがする。
これは英語で言う This is a pen みたいなもので、実際には「こんにちは。今日はいい天気ですね」などということを誰かと会話することはあまりない。あまりないというか、実際のところそのような機会は限りなく少ないだろうし、突然そんなことを言われたら非常にざわざわとした不穏なものを感じてしまうだろう。もし友人に対して「こんにちは。いい天気ですね」と突然言い出したら「何を言ってるんだ」という感じだし、そうすると関係性的にはこれは知らない人に話すような言葉であると思う。
しかし、知らない人同士が声を掛け合うことが危険視されるとまではいかないまでも、やや忌避されるような時代である現代において、突然知らない人に「こんにちは。今日はいい天気ですね」と話しかけられたら、「そうですね」と言いながらもかなりびっくりしてしまうとは思う。マンションの住人やご近所付き合いであればまだわかるけれども、全く知らない人、全く文脈がないところで話しかけられたら驚いてしまう。つまり、文脈があるかどうかによってその言葉の受け取られ方は当然違うという話である。
これはすごく当然の話で、叱るべき時で叱るべきタイミングで「こんにちは。今日はいい天気ですね」と言われても別に違和感はないわけなんだけれども、やはり拭えない違和感のようなものがある。それは This is a pen みたいなものかもしれない。とはいえ自分はネイティブの英語話者ではないので、その違和感や気持ち悪さについて感覚的に理解することは一生できないのかもしれない。
しかし日本語において、「こんにちは。今日はいい天気ですね」というように、しかるべきタイミングがそもそも存在しないのではないかと思う。その微妙な気持ち悪さ、微妙な違和感というものは、一見間違っているわけでもなく、すごく変でもなく、あからさまなものでもない。一見正しく、何の問題もないのだけれども、実際には微妙な違和感を感じる。そういうものが結構面白いなと思っている。
例えば、一時期AI画像生成のテストとして趣味で作っていたものがある。ある種のユートピア的、もしくはディストピア的な表現として、非常に幸せそうな人々や非常に幸せそうな猫たちの「幸せさ」を過剰に爆発させて表現する、というものだ。その時に自分が面白いと思ったのは、その「微妙な違和感」である。あからさまに刺激的、ネガティブな方向ではなく、むしろポジティブな方向を押し進めた結果として生まれる微妙な違和感。
そこに隠れているものに強い興味があり、もう少しそういうものと向き合って取り組んでみたいなと思ったりする。
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