書く実験の記録

#760 確からしさの椅子

ここのところ、座り方の癖があまり良くないと思っている。つまり、座っているときの姿勢が良くない。かなりダラダラとしたせいで座っているなあと、ふと思った。

私は今、仕事で主に使う椅子としては、何というか説明が難しいけれども、座面がいろいろな角度に傾く、座面をいろんな角度で傾けることができるデスクチェアを使っている。これは結構気に入っている。腰をグリグリと動かすことができたりするので、使い始める前よりは腰痛がマシになっている気がするし、ちょっと考え事をしている時にゆらゆらと動いたりするというのも悪くはない。

ところで、考え事といえば――というふうに話を飛ばしてしまう前に、ただ一つ不満点がある。あまりそのような優れた機能を持っている一方で、調整できない部分も結構多い。例えば、その…何という名前か忘れたけれども、左右についているアームを置く場所――アームレストっていうのかな。アームレストの高さも調整できないし、前後の位置も調整できない。それに背もたれの角度なんかも調整できない。

一番気になっているのはヘッドレストの位置だ。自分の身長というか座高だと、頭の位置と微妙に合っていなくて、首の溝、首のS字のカーブとも合っていなくて、微妙に使いづらい。というか、気持ちよくない場所に当たっている。これがもう少し調整できたらいいなとは思っている。

アームレストなんかは正直あまり使っていない。使っていないというのは、逆に言うと高さが調整できないから使っていないのであって、調整できたら例えばその机と同じような高さにできたりしたら使うのかもしれないけれども、現状は使っていないし、使えなくても今のところそれほど不満はない。ヘッドレストの位置・高さだけが気になっているわけだ。

ところで、先ほど言いかけた考え事の話だけれども、考え事といえばちょうど最近読んだ記事で、とある研究があった。何かアイデア出しであるとか考え事をする時は「歩く」ということが非常に良いらしい、というものだ。みんなそんなことは思っていることだが、それをきちんとデータを取って証明したということに意味があるのだろう。

ちなみに、自分でもいつも話していて気になっているのが、「こういう研究がある」という言い方だ。そういう研究があるということは、別にそれが正しいということを示していない。研究があるというだけでは、結果が出ているということも示していないし、もしその研究成果があったとしても、その研究成果が正しいということを保証するわけではない。にもかかわらず、何かそこに信憑性があるような言い方を自分はしてしまっていると思うし、多くの人もしてしまっていると思う。

してしまっているという場合もあるし、意図的にミスリードを誘おうとしている場合もあると思う。いろんなものがあるけれども、この辺の言い方には気をつけなくてはいけないし、何かを聞くときも気をつけなくてはいけない。権威に惑わされてはいけないとは思うものの、まあそうは言っても、例えばその記事なんかは、そのような研究成果がある・実験結果があるということなので、例えばそれがものすごくコストがかかるとか、財産を失うとか、健康的に大きなリスクがあるようなことではない。なんとなく直感や経験とも合っているし、もしその研究成果が実はあまり有効ではなかったと後でわかったとしても、それが逆に「マイナスだった」「健康に害がある」とわかるようなものではない。だから、「散歩しながら考え事をする」ということを試してみるくらいなら、それは自分にとってリスクの少ないことだと思う。そういうものはとりあえず試してみてもいい。

そもそも直感とも反していないし、その辺の使い分けみたいなものはあると思っている。これは「誰かが言った」という権威――研究であったり記事であったり――にも言えるし、例えばチャットGPTの出した出力結果にも言える。ハルシネーションの問題があるので、チャットGPTなどのLLMが出した答えは必ずしも正しいわけではない。

じゃあ、人間がインターネットで調べて出した結果は必ずしも正しいのかというと、人間もまあまあ愚かだし、ましてや情報ソースが正しいということも誰かが保証しているわけではない。ある程度の確からしさがあるということを、Googleの検索結果のアルゴリズムであったり、「みんながそう言っている」という多数意見であったり、自分の直感や知識で補っているだけで、実はそれも必ずしも正しいわけではない。

だから結局、そこにあるのはリスクの判断だけだと思っている。例えば今、私は最近、特に根拠はないんだけれども、なんとなくアーモンドミルクも豆乳もどちらも好きで、毎日飲もうかなと思っている。なんとなくそのペースを決めようかなと思った時に、チャットGPTに適当に聞いたところ、「アーモンドミルクは朝で、豆乳は夜の方がいいよ」みたいなことを言っていた。正直言ってこれが正しいかどうかは全然わからないし、もしかしたら正しくないかもしれないし、何の根拠もないのかもしれないと思っている。

けれども、それを突き詰めて100%調べきるというのも、それはそれでコストだ。もちろんそれができたら素晴らしいし、もっとより良い飲み方というものはあるんだろうけれども、まあそうは言っても、朝アーモンドミルクを飲み、夜に豆乳を飲むということ自体で、今のところ特に問題はないだろう。それは思い悩んで飲まないよりは、飲んでもいいような気がする。

そんな感じで、とりあえずよくわからないけれども、不完全なものを信じてやってみる。リスクの評価くらいは自分でやるということ。これは今、豆乳とアーモンドミルクというどうでもいいことを例にしたけれども、日々思うのは、いかに判断というものが曖昧なものに立っているかということだ。

自分が子供の頃は、それは分からなかったと思うし、今も完全には分かっていない。もっと早く気づけばよかったなと思うこともある。まあしかし、「私は何かに気づいたのだ」「私は何かに目覚めたのだ」という気持ちほど危ういものはないと思うので、まあなんかとりあえずアーモンドミルクを飲んだり、豆乳を飲んだり、あとは梅干しを食べたりサバを食べたりしている。梅干しとかサバは好きだから食べているわけで、これはちょっと塩分を取りすぎないように気をつけなきゃいけないけれども、まあなんかとりあえずアーモンドミルクと豆乳は、まだしばらく毎日飲んでいこうかなと思っている。

2025-10-12

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