書く実験の記録

#766 畳とシャワーと幸福感

何かをすごく頑張って、何かを足し、何かを達成した時にすごく嬉しいことがあったりするというのは、まあもちろんある。だけど、ふとした時に、もっとプリミティブな、というか、言葉を言い換えると、もっと何気ないというか、シンプルというか、ミニマルというのかわからないけれども、もっとちょっとしたところに大きな嬉しさみたいなものがあると感じる時がある。

小さなことだけれども、例えばよく思うのは、シャワーに入った時、暖かい水を浴びていると落ち着くというか、なんだかとてもほっとして、「これは非常にプリミティブな幸せの一つなのではないか」と思う瞬間がある。まあ正直、シャワーに入ったら毎回思うわけではないので、他にも何か条件があるのだろう。

それ以外にも、最近、町屋の縁側で障子を開けて外の空気を入れながら、縁側で少しだらっとしてゆったりと過ごしたことがある。それはとても幸せな時間だったし、ちょうど気温も非常に心地よくて、畳と座布団で軽く寝転がって、それによって非常に、なんというか、いろんなものが相まって、非常に心地よい時間だったし、そのことに幸せを感じていたと思う。

だから、そうだな、というか、それはその時は少し1人でそこにいたわけではなくて、他にも数人でご飯を食べて歓談をして過ごしていたので、それらの様々な要素が相まって、それは成立していったようには思う。

そして、これはシャワーに入るよりはもっと難しいことで、それがプリミティブなものである、非常にミニマルなものであると言っていいのかどうかはわからない。様々な要素が組み合わさってやっと成立するものだけれども、しかし、何かこう、つらく苦しい思いをして、それでやっと成立するというものではない。

がゆえに、もちろん裏側には様々な人の努力、行為、仕事といったものがあって、基本的に人工物の全てはこの世界にあるもので、見渡して目の前にある自然のものではないものは、全て人間が作っているわけで、それはすなわち誰かの仕事なわけだ。誰かが仕事をして何かが生まれている。だから、そこにはたくさんの人の仕事があって、そしてその場所であるとか、場所を作ったり維持したり、そこには仕事というものが存在するわけだから、何もせずに全てが生まれてくるわけではないし、シャワーよりももっと複雑なものだなと思う。

しかし、結果として受け取るその感覚というものについては、非常に身体的なものだなぁと。

2025-10-18

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