書く実験の記録

#771 透明になるまでの時間

今は新幹線の中でこれを書いている。車窓から見える畑の真ん中にポツンと立つ看板が、なんだか微笑ましい。それを「微笑ましい」と表現するのが不適切かどうかはよくわからないが、なんだかすごく気になってしまった。もっと増やすことも可能なのだろうけれども、そうはなっていなくて、あくまで広い面積の中に一つだけポツンとあるのだ。

今は少し爪が伸びていて、なんだかキーボードの打ち心地が悪い。そういう時はキーボードを打つことに意識が入ってしまって、内容に完全に集中できていないような気がする。心地よくできている時は、キーボードを打つという行為は完全に透明になっていて、それと意識することはない。

しかし、それもそのレベルに慣れるまで、一体どれだけの時間と回数をキーボードを打ち続けてきたのだろうと思う。生まれついてできることではないが、もはや意識せず自然に、透明にそれを行うことができる行為はいくつかあるだろう。

ところで、「1%の確率でしか起きないことも100回やれば64%くらいの確率で発生するのだ」というような話を久しぶりに見た。ある種のネットミームの一つだろう。これは実際のところ計算で求めることができるわけだが、直感とは非常に異なる。これは誕生日の話にも通じるだろう。同じ誕生日の人がいると非常に稀な気持ちになるのだが、これもある種のパラドックスとして知られている。けれども、30人集まると70%の確率で同じ誕生日の人がいるのだ。

今、簡単に検索して書いているので数字があっているのか確信がないが、まああっているだろう。細かい数字が問題ではなくて、このように直感とは大きくかけ離れた確率で発生してしまうものはあり、人間の直感はそれなりに当てにならないものであるのだ、ということになるんだけど。

しかし年々、直感の重要性は強く感じるようになっており、むしろ昔は自分はより自分の直感を信じていなかったし、信じることができていなかったのだけれども、今は信じることができなくても無理やり信じる方が良いのだということで、その重要性を感じているのだけれども。

しかし先ほどの確率においては直感は当てにならないと思っているわけで、この「直感が当てになるかならないか」ということについてのパラドックスについて、どう考えれば良いのだろうと書きながら思った。

2025-10-25

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