#786 変わらない日々と変わる世界

今日は11月25日でもうすぐ11月が終わるということに気づく。そうすると12月に入って今年ももう終わりだなということになる。なんと早いのだろうか。なんと早いのだろうかと毎年言っているわけだけれども、毎年本当に早い。
同じようなことを言ってそれを改善しないのは愚かなことだと思うけれども、少なくとも改善しようと取り組まないことが愚かなことだと思う。しかし、この1年が過ぎることは圧倒的に早いという感覚というものは、どう改善したらいいのかわからない。
ただひとつ気になることはあって、聞いた話によると、年を取ることに1年というものが早く感じるというのは、つまり1年というものの中での記憶に残っているものが少ないということであって、それは新しい刺激が少ないからである、というような話だ。
つまり例えば赤子の時は……と言いながら、まあ本当に学校の時のことの記憶は、本当に赤子の時の記憶が残っているかというとまだ残っていないんだけれども、物心がついた後だと仮定しても、子供の頃の記憶というものはどうだろうな。そうは言っても、この2、3年前のことよりあんまり覚えていないけれども。
まあ記憶が残っているかどうかというよりは、例えば1年経った時にその1年の長さみたいなものを感じる時の振り返りという時に関して言えば、そうだな、例えば1年間というものに新しい情報が少ないから、あまりそれについては記録する必要がない、脳に記憶する必要がないというふうになって、それゆえに1年の密度が低いという時に、1年間というものが早く終わっていると感じてしまう、というようなことは、まあ今これだらだらと書いていて全然うまく説明も整理もできていないような気がするけども。
まあとにかく、新しいことが頭に残っていて、新しくないことは頭に残らないのだから、新しいことをするほどに1年というものは濃密になり、新しいことをしないほどに1年というものは記憶に残らなくなるのだ、というようなことが要はポイントなわけだけれども。
ポイントなわけなんだけれども、しかしその説明と、自分自身が全く新しいことをできていないわけではないと思っているということとの矛盾みたいなものは感じる。矛盾みたいなものは感じつつ、しかしなんとなくわかるような気もしていて、ルーチン化してしまっているという感じはする。
その新しいことというものも、結局はその大きさにもよると思っていて、例えば毎日の散歩のルートを少しずつ新しい道を試して新しいところに行ってみるというのは、もちろん何かポジティブな良いことな感じはするけれども、しかしそれを1年間続けたら、それは確かにルーティンになってしまって、その新しい道自体も道自体は新しいものだとしても、あまり記憶に残らないものになってしまうだろう。
おそらくその場合は、何かもう少し大きなこと、散歩自体を変えてみるとか、散歩の方法自体を変えてみる、土地を変えてみるとか、何かもう少し大きなこと、メタなことを変えなくてはいけないのではないかと思う。
同様に、もし私が、もしくは誰かが、少しずつ新しいことを試しているはずなんだけれども、しかしそれがあまり記憶に残っていない気がするし、そしてその新しいことというものの新しさにうっすらと不安を感じているとしたら、散歩のルートを変えるだけではないという、何か新しいことをしなくてはいけないのかもしれない。
まあそもそも前提として、「1年が早い=新しいことができていない=それは悪いことである」というようなロジックで話しているけれども、別に必ずしもそうではない。毎日同じことをして、毎日同じ繰り返しで、それでいいんだよ、それがいいんだよ。
でもきっと同じことを繰り返している中で、例えば日々の移ろいであるとか季節の変化であるとか、自分自身もずっと同じ存在でいられるわけではなくて、徐々に歳をとっていくし、周りも変わっていくし、例えば子供も成長していくし、そういったことがあって、だからこそ、そういったものにフォーカスすることによって逆に日々の生活というものは、例えば究極的に言えば完全に同じルーティンで毎日を過ごすことができたとして、そうすると逆にそれ以外のところ、季節の移ろいであるとか、先ほど言ったような様々なこと、自分の外のことにフォーカスが移るような気がしていて。
だからそこにフォーカスしている限り、例えば自分の生活は完全に一つのルーティンで成り立っていたとしても、変化のないものではない。
ここで思うのは、自分の生活がルーティン化していて、かつそこにフォーカスしている場合は、それは非常に変化がない生活になってしまうと思うし、変化がないと感じてしまうだろう。しかし外の変化というものを感じるためのセンサーだと、自分自身が一つのセンサーだと感じるのであれば、自分自身が持っているノイズというものは、例えば究極的に理想的にはゼロである方が、外の値を受け取りやすいわけで、自分自身の生活は全く変化がないルーティンであるという状態の方が、より外のことを感じることができるだろうし、そこには無限の発見があるだろう。
コメントを残す