書く実験の記録

#790 わかっていて、わからないことにしている

なんだかイライラしているなあという時があって、それは何かこう具体的なものではなくて、なんとなく何かに具体的にイライラしているというよりは、なんとなく自分が今イライラしてしまっているなと客観的に感じる時がある。これはイライラしている自分と、それに気づいてそれを冷静に見て「それはあんまり良くないな」と感じている自分みたいなものが2ついることになる。

そして、何だろうな、そういうのって「何にイライラしてるのかわからない」と言いつつも、実際には自分ではわかっていることが多い。この、自分でわかっているということと、わかっていないということが同時にあるという状態も非常によくあることなのではないだろうか。

つまり、例えば自分ではうっすら分かっているんだけれども、しかしそれ自体が「そんなことにイライラするということ自体が良くないことである」「本来は別にそうあるべきではない」と感じているがゆえに、それを認められないというか、「自分はそうではない」というふうに考えたいという気持ちが先行していて、そこから目を背けている部分があり、だからこそ原因がよく分からないということになっている。自分ではそういうことにしたいわけなのだけれども、根本的にイライラしているという何かに向き合わない限り、そのことを解消することはできない。

しかし「今忘れる」という手もあるし、「そのうち忘れることができる」という手もあるから、根本的な解消というものが実際にはできないことも多い。ので、忘れるというのも一つの重要な機能であると考えるわけだね。

何だろうね、「こうありたい」という自分、もしくは「こうあるべきである」という自分。そして、自分自身がどうというよりは、社会的に「こうであるべきである」という、それが正しいのであるという圧力みたいなもの。それが、別に何か誰かから直接言われているわけではないけれども、何かを良しとして何かを良しとしない空気みたいなものは当然あり、それが社会的な圧力だし、それは別にあってしかるべきものだし——。

何を言ってるかよくわからないけれども、そもそもこのように何を言ってるかわからない文章を書いているという時点で、非常にこう、なんかすでにイライラしてしまっているということを感じている。

考えてみれば、いくつか解決できていない問題はあり、できれば今年のうちに解決したいという気持ちであるけれども、しかしその「じゃあ今年という区切りは何なんだろうか」。別にそこに物理的な何かが存在するわけではないんだけれども、やっぱりこの1年という区切りでずっと生きてきた我々というか——まあ他人のことは分からないので自分というものだけに限定して話し考えるとしても——やっぱり1年という区切りはすごく大事だし、何か大きなものとして捉えているし、実際に気持ちとしては非常に大きなものだ。

1年が始まる時は何か新しいような気持ちになるし、1年が終わる時は何かが終わるような気持ちになる。そしてその1年というものを振り返るという行為を……それが具体的なものであり抽象的なものであり、何かをしている。そして、1年が始まった時には「今年の1年はどうしようかな」みたいなことを考える。

しかし逆に言うと、これを1日の単位でしか考えられない人もいるだろうし、1ヶ月の単位でしか考えられない人もいるだろうし、何だろうな、10年・20年の単位で考えられる人もいるだろう。もしくは30年・40年。ある芸能人の話では、自分が60歳になるまでの計画を立てているみたいなことを言っていて、それはそれですごい成果を出している人なんだけれども。

だから目的を立てるのが、目標を立てるのが大事なのだということも実際言われているんだけれども、しかしもっと面白い道があったかもしれないし、そこにセレンディピティのような偶然の出会いというか偶然の面白さみたいなものはあるんだろうか。もちろんあるんだろう。

自分は正直言って60歳までの計画が立てられていたタイプではないし、今も立てられているわけではない。当たり前のことであれば特に取り上げられることはないので、それが稀なことであるから取り上げられるわけだ。珍しいことであるから取り上げられるわけだ。そういうことなので、多くの人、ほとんどの人がそんなことはできていないからこそ、「それはすごいよね」と称賛されるわけなので、自分自身がそれをできていないとしても、多くの人ができていないということだとは思う。

もちろん仕事においては、目標を立てるということであるとか、スケジュールを立てるということであったりとか、そういうのはあるんだけれども、これもまたどういう仕事をしているのかによって大きく違うと思っている。例えば伝統工芸であるとか、もしくはよく言われるのであると林業であるとか。林業なんかは非常に木を育てるのに何十年もかかるわけなので、非常に先のことを考えながら、なんなら自分がその仕事を辞めた後のこと、その先の先の世代のことなんかも考えながら仕事をするという非常に射程の長い仕事で、そこにはある種の崇高さみたいなものを感じてしまう。

2025-11-29

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