書く実験の記録

#791 茄子の炒め物

最近、友人たちと4人ぐらいでご飯を食べる機会があって、しかしそれぞれは友人であったり、以前からの友人であったりするんだけれども、意外にその組み合わせというのは今までなかったよね、というものがあったりする。そうすると、組み合わせによってまた違う話が出てきたりするのは面白いところだなと思っているし、そして、そういう友人たちと話すと何か新しい気づきみたいなものがあって、それが文章に反映されたりということもある。

逆にふとした時に、そういえば以前文章を書いていた時に若干ではあるが、自分の中で頭の整理をできたり、言語化できたりしたものが、今この会話の時に活用できるという部分もあったりして、きちんと整理をしたわけではないんだけれども、何かの役に立つということがあるような気がする。

しかし別に役に立つことが素晴らしいことではないし、むしろ役に立つということは──これは非常に言い方が難しくて誤解を招きそうなんだけれども、誤解を恐れずに言うと──なんだろうな、役に立つというのは結構下品なことなのではないかと思っている。いや違うな。「下品」という言葉が多分適切ではない。けれども、そこに何か違和感があると思っていて、なんだろうな。試しに考えてみよう。

役に立つということなのか、役に立とうとするということなのか。役に立つということを第一の目的や価値に置いているということなのか。役に立とうとするということを第一の目標に置くということなのか。そしてそれらが──先ほど言ってしまった「下品」という言葉はおそらく適切ではない。100パーセント適切では全くなくて、より良い、今自分が感じている違和感みたいなものを表現するための適切な言葉というものはあるのだろう。

ではそれは何なんだろうか。そもそも何にどのような違和感を感じているのかということを、もう少し掘り下げないと自分の言葉より適切な言葉を探すことができないのだと思っている。

では、自分は今何を考えて何を感じているんだろうか。うん。役に立つということ──うん、違うな。なんだろう。これは非常に難しくて、今まで言語化に成功したことはないというか、うまく自分の中で少なくともしっくりくる表現にたどり着けたことはない。

このテーマに取り組んだのは今日は間違いだったかもしれない。なぜなら全然整理できていないからね。

役に立つということが良くないわけじゃない。もちろん役に立たないより役に立つ方が良いという価値観が基本的にあって、もしくは誰かの役に立ちたいとか、何かの役に立ちたいという気持ちが良くないものであるということも、もちろんそんなことはない。それは素晴らしいものだし、自分自身だってそういう気持ちはもちろんある。

では何なんだろうかと考えてみたものの、どうにも少なくとも今日はうまく言語化することができないみたいなので、諦めて昨日食べて美味しかった茄子の炒め物の中華料理のことでも考えてみよう。

2025-11-30

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