#800 2025年12月31日

今日は2025年の大晦日である。どうしても一年を振り返ってしまうし、そもそも「一年を振り返るとはどういうことなのか」ということについても考えてしまう。
あまり覚えていないことも多いし、かろうじて覚えていることもある。覚えていることとしては、11月は忙しかったな、ということくらいだ。なぜか急にたくさんのプロジェクトのスケジュールが重なって、チームで協力して乗り切ることができた。一人では当然無理だったし、別に自分が全部まとめたというわけでもない。それぞれのプロジェクトが、それぞれにやった、という感じだった。それはとても嬉しいことだと感じている。
今年は、いわゆる「ベストバイ」みたいなこともしていないし、今年読んだ本を振り返ったりもしていない。それは単純に、この年末に至っても、それより優先度の高いことをいろいろやってしまっていたから、ということでもある。プライベートでも色々あったような気はしていて、とにかくあっという間の一年だった。
いつも思うのだけれど、一週間は本当にすぐだ。もちろん一日はもっとすぐなのだけれど、なんとなく意識としては、一週間を一つの単位として一番強く感じている気がする。一週間で自分の人生は回っている、という感覚がある。こう言うと射程が短すぎると言われそうだし、もし本当にそれしかなかったら問題だと思う。
もちろんそんなことはなくて、数ヶ月から数年にわたるプロジェクトはある。逆に言えば、今のところそれ以上、たとえば10年単位、あるいは数十年かけるようなもの、それはもうライフワークと呼ばれるようなものだと思うけれど、そういう取り組みはしていないし、できていない。林業のように、自分の寿命より遥かに長いスパンを見据える仕事も同じだ。できていないからこそ、そうしたものに対して憧れや尊敬を感じるのだと思う。
そう言いながら、これを書いているうちに、ベストバイとまではいかなくても、「これ買ってよかったな」とか「この本は面白かったな」とか、そういうことを網羅的にではなく、ちょこっと書いておくのも、スナップショットとしては面白いのではないか、と思えてきた。それもまた射程の話な気がする。今日時点で誰かに読まれても、あまり面白くはないだろう。でも、来年の自分や、10年後の自分が読んだら、それはそれで面白い気がする。そう思うと、やっぱり書いておこうかな、と思うわけである。
今年やりたかったことはたくさんあった。できたこともあるし、できていないこともある。むしろ多くのことはできていない。わかったのは、やれることは少ない、ということだし、自分一人ができることは本当に少ない、ということだ。
来年は何をしようかな。やりたいことはあるようで、ないようで、ないようで、あるような気もする。もしかしたら本当はないのかもしれないし、あるのかもしれない。思いつくこと自体はたくさんあるし、やりたいことリストやタスクリストには色々書いてある。でも一歩引いて考えると、先ほど触れたような、圧倒的なスケールに対する畏怖や尊敬のようなものが、自分の中ではまだはっきり見えていない気がする。それを求めるべきかどうか、それを良いものとするかどうか、という問題もあるのだけれど。
今年も色々な新しい人と知り合い、仲良くなった。一方で、去年は交流があったけれど今年はなかった人もいるし、以前はよく交流していたけれど、ここ数年なく、今年もそのままだった人もいる。これについては、まあそういうものだと思うようになった。人間関係について、昔ほど長期的な視点を持たなくなった、とも言えるし、期待を持たなくなった、とも言える。良いことばかりではないし、あまり掘り下げると良くない気もする。
ただ、本当に良くないのかと言われると、そうとも思っていない。今年、色々考えた時期もあって、人間とは結局、乱数に基づいて結果を返す関数みたいなものなのではないか、と思ったこともある。ナラティブだとか、ストーリーだとか、文脈だとか、考察だとか、そういうものが世の中では好まれるけれど、意外にも人間というのは、本人が思っているよりも、周囲が思っているよりも、圧倒的に一貫性のない、ランダムな存在なのではないか。
あるいは、変数が多すぎて、簡単にストーリーとして捉えられるものではないのかもしれない。その人のナラティブを理解しようとすること自体が烏滸がましく、場合によっては逆効果になることすらあるのではないか、と思ったこともあった。
振り返ってみれば、心理学を学んでいたこともあって、人間存在や人間の思考、なぜ人はそう考え、そう行動するのか、ということに昔から興味はあったのだと思う。今でも興味はあるけれど、その度合いやアプローチは常に変わっている。今は「心理学に興味があります」という意識はないけれど、自分を含めた人間という存在を知りたいという欲求はある。
ただ、「知る」ということは体系化を期待する行為でもある。でも人間は圧倒的に複雑で、難しくて、結局のところ、ナラティブを理解しようとするくらいなら、ランダムだと思っておいた方がまだマシなのではないか、そんなことを感じた気がする。いや、これは去年のことだったか、今年のことだったか、もう忘れてしまった。
プロジェクトの数は増え、どんどん断片化しているとも思う。自分自身が断片化し、希薄化していると感じることもある。それでも、やりたかったことや実現したかったことは色々あったし、結局これは、どの役割をやりたいのか、という話でもあるし、実現したいのか、それとも「行為したい」のか、という問題なのだと思う。
相変わらず本は雑に読んでいて、正直あまり覚えていない。でも真剣に読んでも大して覚えていない、ということも同時にわかってきた。雑に読んでも、案外エッセンスは脳に残っている気がする。そして、そのときの自分の脳が受け取れるエッセンスは、レベルの高低だけでなく、その時々で変わるのだと思う。だから同じ本を、しばらく時間を置いて読み返すのは良いのかもしれない。ただ実際には、新しい本を次々に読んでしまっていて、同じ本を読み返すという試みは今のところできていない。
まあそんな感じで、2025年が終わろうとしている。来年は何をしようかな。飽きるというのは、人間にとって重要な機能だと思っている。何かに飽きる瞬間はどうしてもあるし、飽きないものもある。何に飽きて、何に飽きないのか、その違いもまた興味深い。
どうしようかな。
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