#417 言い切ることが難しい
あえて過去との一貫性のようなものを全て突然捨てることができるというのはとても大事なことだけれども多くの場合はそれができない.人間というのは必要もないのにやたらと一貫性を保とうとする.ところがある.
そうは言ってもそのように書きながら一貫性のない考え方とか行動みたいなものの方が目立つような気もするし一貫して何かを貫くというのもその方が難しいということももちろんあるし自分で言っていてどっちなのかよくわからなくなってきた.
そもそも一貫して何かを貫く,というのは馬から落馬したというような表現と同じように冗長なものなのではないか.お腹が腹痛だみたいな.
誰の言葉だったのか忘れてしまったけれども,文章を書く時にはもちろんあらゆる可能性があって.この料理は美味しいというような例えばだが,そのように断定するという文章を書くこともできるし,しかしそこには多数の批判の入る余地があってそれを防ぐためにあらかじめしかしこれはあくまでも主観的なものであって個人の趣味嗜好によるものでもあって,みたいな注釈を入れることはできるんだけれどもそうするとその文章にはもう意味はなくなってしまう,というようなことをどこかで読んだ.
自分の文章とかコミュニケーションというのはどうにもそのように注釈を入れすぎるところがあって.そのようなこともあってインターネット上で炎上してしまったりということは今のところない.
もちろんそもそも常に多数の関心にさらされているような有名人というわけではないし相対的に炎上の可能性はそのような人たちよりは低い.元より低い.けれどもまああらゆる一般人も容易に炎上しうる批判の対象になりうる現代においてはなんとか炎上を回避しながら生きてきたというのは気をつけてきた成果だとは思う.
今上のセクションというか段落もまた言い切ることをせず補足している段落になるだろう.言ってるそばから自分で自分を補足しているわけだ.
試しに何かを補足したりせずに言い切るようなことはしてみたいけれどもそれはこの色々なことを試行錯誤している書き方というものを試行錯誤しているこの場所でもそれ自体はできたことはない.
何かを短くシンプルに言い切るということはそれだけたくさんのものを切り捨てるたくさんの表現をたくさんの意味を切り捨てるということになるし少ないものが強く伝わるものになる一方で多くのものが抜け落ちる.
そのような言い切りが苦手かどうかみたいなものは結局のところあらゆるそれ以外の場面にそのような考え方というかスタンス性格振る舞いのようなものは現れてくるのかもしれない.
このかもしれないというのも一つの逃げた表現言い切らない逃げた表現なんだろう.
突然全く関係ない話をするが私は読んだ本の内容をきちんと思い出せる形にはほとんど覚えていない.覚えていないというよりは覚えようとしていないということになるかもしれない.
覚えるということを目的として反復して読むとかゆっくり読むみたいなことももちろん必要なシーンとしてはあるだろうがとにかく浴びるというか流すというかなんかそういうものだと今は捉えているので明確に覚えてるわけではないんだけれどもその中でも時折印象に残っている内容というものはあってそれは自然の脳のフィルタリングが行われている結果の残ったものだから意味があるんだと思っている.
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