書く実験の記録

#433 言葉と身体性

おはよう.こんにちは.こんばんは.文章を書こうとして内容がするっと出てこない時にはとりあえず何でもいいから書き出してみるとなんとかなる場合があるという風に思っているのでその方法の1つとしてとりあえず挨拶してみるみたいなことをやってみている.

これについてはもしかしたら会話についても同じなのかもしれないと思った.誰かにあった時にいきなり何か話すことは思いつかないというような時でもとりあえずこんにちはとか言って挨拶をしておけば自然となぜかその後何か話題が出てくるような時があるんじゃないだろうか.

昔は自分ももう少しなんて言うのかなこれを何という考え方なのかという名前付けがわからないけれども例えばこんにちはと言った後に話題が出てくるのであればそれはもともと話題があるのであろうというようなことを思っていたかもしれない.

もちろんこれはじゃあだから挨拶が不要であるというようなことを言うつもりはない.言うつもりもないしそのように思ったこともない.潤滑油としてとりあえず大事なものだとりあえず言っとけば言っとかないよりは全然いいだろうしそういうメリットを享受すればいいと思う.

そういうことではなくておそらくもっと新体制というか理性違うな新体制みたいなものを軽視していたのかもしれないね.音声入力を変換するとこの新体制っていうものはなかなか変換がうまくされないもちろんこれは文脈でわかると思うが身体性のことだ.なぜか今回は変換がうまくいった.

置いといてまあ変換の話は置いといて何て言うんだろうな脳が人間を制御しているという感覚もしくは考え方だろうか.なんか名前があったような気がするが今は思い出せない.

例えば人間は悲しいから泣くのではなくて泣くから悲しいのであるというか涙が出るという反応の方が先にあるという話がある.

これは人間が悲しいということを感じることができないみたいな話ではない.意識として上がってきているかどうかというような話だった気がしていて.つまり何かの出来事が起きてまあそれが刺激となってまだ意識に上がっていないところから悲しいという反応がそれは人間は意識としてはまだ気づいていないんだけれども起きていてそれが身体に影響をして涙が出てくると自分は悲しんでいるんだなという風に意識として気づくというような話をどこかで呼んだ.

どこかで読んだだけなのでこれがどのくらいエビデンスがある話だったのかよくわからないが確かにそういうことは感覚的にはあるなと思ったりはした記憶がある.

2024-07-19

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