書く実験の記録

#454 理解できないものなのかもしれない

ここのところ色々な気づき——というと何か正しいことのようだがそれが正しいのかどうかもまた全くわからないことではある——があり、というところで次の文章が止まってしまった。

気づきがあり、〜した、ということをつなぐのが自然だと思ったが、特に何もしていないことに気づいたからだ。いやなのもしていないということではないのだが、例えば「どうやら人間とは理解できないものなのかもしれない」という気づきは自分にとっては大きなもので、しかしそれが正しいのかはわからないし、まだそれによって自分が何かの指針にできたりということはないのだけど、しかしなんかいい気づきの、さらに予兆な気がするということ、そういう曖昧な状態だ。

いい気付き、と言ってしまったが、それがいいのかどうかは本当にわからないのでこれは撤回しておく。

例えば先ほど書いた、人間とは理解できないものなのかもしれない、とはどういうことか。それにはまず前提が必要で、それは人間は理解可能なものであるという前提である。

それをさらに説明すると、人間というのは、理解可能なものであるかどうか。それは自分があらゆる人間を理解できているということは意味しない。この世には人間が可能なことはたくさんあるが、そのほとんどは自分にはできない。できないことの方が多いだろう。だからここでいう人間を理解するということも、それが自分ができているということを意味しているわけではないことを付記しておく。

つまり、人間とは、究極的には「理解」が可能なものだと思っていたということだ。とは言ってもいつ瞬きをするのかということはシミュレーションできるかもしれないがそれを知ることにあまり意味はないしおそらく人間には無理なように、あらゆる微細なことを理解しようとしているわけではない。

例えば仕事において、〜をやります、と言って、やらない、みたいなことを理解したいということ。これは瞬きのタイミングを予測するよりは、まだだいぶ理解可能な感じがする。

感じがするし、実際、大まかには理解できると思って生きてきた。何か自分が努力をすれば、学べば、他者の何かのそういう行動の意図が理解できると思って生きてきた。これ自体は、間違ってはいるとは言えないだろう。

何かをやりますと言ってやらないことには、何かの理由がある、と考えるのが妥当だ。もちろん実際に理由があるんだろう。しかし、それがどうしても、何度本人に聞いても、理解ができない。というようなケースがある。

まあ元々、本人に聞いて、それが理由が説明されたわけではない。「やるべきなことはわかっている」「つい忙しくて」「やらないといけないですね」となる。ここでいうと、「つい忙しくて」が一応理由説明に当たるだろう。

しかし、それが例えば5回繰り返されるとしたら。「やるべき」と考えていることが「できない」理由は、もし表面的には「忙しい」だとしても、その裏側にもっと別な理由が潜んでいると思う。思ってしまう。それを理解できたら、そのロジックを理解できたら、と思っていた。理解できると思っていた。努力すれば。

でも案外そうではないのかもしれない。そもそも理由なんてないのかも。理解可能だと思っていたのでどうしたら理解できるのか試行錯誤してきたが、そもそも理解不能であるという前提もあり得るのではないか。みたいな話。

2024-08-11

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