書く実験の記録

#328 15分の扱いが難しい/あらゆることについて良かったのか悪かったのかわからない

自分は結構何をするにもタイマーをかけてやるようにしている。良い効果があるのか悪い効果があるのかはわからない。あらゆることの時間の見積もりができるように、その精度が上がるように、みたいなことがお題目としてはあるだろう。

というかタイマーというよりかタイムトラッキングツールか。まあ併用しているんだけど。タイムトラッキングツールで何をしていたのかの記録をとっている。それと同時に、タイマーもかけている。

これも良いか悪いかわからないが、ポモドーロテクニックというものを結構昔からやっていて、なんとなく30分単位で考えることが多い。25分やって、5分休憩。カレンダーの入力の関係でやっぱり30分とか1時間とかの単位で予定を立てることも多いだろう。

30分より早いもの、短く済ませたいものは、15分になる。ただこれの扱いがなかなか難しい。たとえばこのSubstackは以前は25分をリミットにしていた。20分くらいで書いて、5分で公開する。公開する、というのはまあタイトルをつけたり、カバー画像をつけたり、公開のボタンをポチポチおしていったり、場合によってはSNSにシェアしたり。

余裕があればバッファとして30分においておくと良い。もっというと1時間単位でどんどん予定を入れていくくらいが良い。もちろん余ることも多いので、その時に予定に入れていないような細かいものも入れれるし、バッファになって次の予定に対して安心感がある。

最近はそこまで余裕がないというか他にもやりたいことがあるので、これを書くのは15分をリミットにしている。そうすると大体文章を書くのは10分。そして諸々の公開作業で5分。

しかし25分だと、ちゃんと5分間休憩があって、次の予定に移る余裕がある。ところが15分だと、30分単位で生きていくには、休憩がない。中途半端な時間になってしまう。色々考えてみると、この15分の扱いというか、微妙に30分は不要、というか30分に2つくらい入れたいようなもの、はどうするのかは悩ましい。

あらゆることについて、良いか悪いかはわからない。今までやってきたことの全て、それが良かったのか悪かったのかわからない。まだ子供の頃は、まだ結果が出ていなかった頃だ。もちろんその時も、勉強をしたらテストの成績が上がったり、努力に対して結果は出ていた。しかし、そうは言っても、所詮は短期的なものだ。

だから重要ではないということではないが、仮に平均寿命まで生きることができたとするならば、人生全体においてはまだまだ最序盤である。その段階での因果関係は短期的なものだ、と言っても言い過ぎではないだろう。

今はもう子供ではないし、しかし余計に、今までやってきたことの何がよくて何が悪かったのかなんてわからないな、と思っている。結果論的に全てを評価するならば、たとえば今の自分が達成できていない多くのことに対して、過去の自分のあらゆる選択は間違っていたということになるのかもしれない。しかしもっと悪いことにならないことには寄与していたかもしれないし、他の誰かと同じことをしても同じ結果には必ずしもならないだろう。所与のものは誰しもが異なるからだ。

わからないが、わからないからこそ、できるのは信じることだけ、ということなのかな。それも悲しいけれど。

2024-02-12

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