#458 ないよりはまし

前回も書いたけれどもここのところしばらく書いたものを読み返しても以前に比べてあまり面白いものがない。面白いというのは笑えるという意味ではないが、自分としては興味深いとか、後から読み返して印象に残るなというようなものだ。
なんでだろう。よくわからないけれども。内容の傾向が変わっているのは確かである。この辺は分析できると多分良い。アップルのジャーナルアプリなんかはその辺を目指しているのだろうと思う。
もっと些細な話をしよう。最近運動する時間をあまり取れていない。ちょっとした運動をするだけだ。やらないよりはまし。ほんの数分とか5分とか。それでまあ、やらないよりはましだ。
この「ないよりはまし」という考えは最近自分の中でよくキーワードとして上がってくる。機体のコントロールについて。期待ね。
本当に期待がゼロの株を買うだろうか。買わないだろう。いや、個別に期待をするというよりは全体として上がるような、つまり個別の事象としては上がったり下がったりしてしまうのは必然なので、そういう意味で期待値はコントロールしていることになるだろうけれども。でも全体としては上がると思って人は投資するだろう。まあ株式投資にはあまり詳しくないのでこの例えが合っているのかはわからない。
しかし期待はするが期待のコントロールもする必要があるのだろう。ないよりはまし、というふうに考えると結構色々、そりゃないよりはましだな、となる。それでいて全体としては期待値を上げていく方法。
人間というのはブラックボックスだ。自律した存在ではあるが何かの入力に何かの出力をする反応的なものでもある。内部で何が起きているのかはわからない。解釈は自由だ。
ランダムである、と思うと、もちろん十分に大きなサンプルでないと偏るのだけれども、基本的には何かが起きたり起きなかったり半々くらいになる。いや、なんとなくまだこの、ランダムであるということと、ないよりはまし、が上手く接続できていない気がする。
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