#464 変わる感情と残る感情

時間が経つと感情も変化すると言いたいところだが、いつまで経っても変わらない感情もあるし、すぐに忘れてしまう感情もある。それが例えば、ある時期にこいつにムカつくなと思っていたことがあったとしても、すぐに忘れてしまうようなこともあるし、10年経ってもムカつくなというふうに覚えていることもある。子供の頃の失敗を今でも思い出すことはあるし、学生時代に取得すればよかったなとか、それが人生の大きな選択みたいなものではないとしても、何か別にそれほど大きなわけでもないし、その後人間関係にすごく支障をきたしたわけでもないけれども、なぜかずっと気になっている失敗みたいなものはなぜかある。
もちろん、人によって違うだろうし、私の場合、それが他の人に比べて多いのか少ないのか、または数だけでなく質として違うのかはよくわからない。今思ったが、この文章では「よくわからない」という表現をよく使っている。「よくわからないことをよくわからない」と言うのは、気持ちがいいことだ。
仕事においては、何に責任を持っていて何に責任を持っていないのかという線引きがどうしても必要になる。だから、わからないことは「ここはわからないですね」と言ってしまうことも時に大事だと思う。わからないものはわからないですね。
実は今、音声入力を使って文章を作成しています。これを文字起こしして、誤字脱字や文章の変なところを直してから、アプリケーションのスタイルに合わせて整えるツールを試しています。例えば、仕事のメールなら仕事っぽく、友人とのチャットならそれっぽく仕上げてくれます。だから、もしかしたら私が話したことや書きたかったことと違うものが書き込まれているかもしれません。
ツイッターで有名人が暴言を吐いたり、不適切な投稿をしてしまった時、「アカウントが乗っ取られました」と言い訳するのはもはや定番です。みんな本当かどうか疑いながらも、一応そういうことにしておこうという謎の状態になっています。
しかし、これはツイッターだけの話ではありません。例えば、政治家が通訳や秘書のせいにすることもあります。仕事でも、二人で向き合うことでミスをフォローし合ったり、嫌なことを言わなければならない時に片方がフォローに回るなど、コミュニケーションの方法はいろいろあります。
ただ、「乗っ取られました」という言い訳は明らかに嘘です。しかし、今私がやっていることもツールを通しているため、意図したこととは違うかもしれません。例えば、私がひどいことを書いてしまったとしても、それはツールが出したものであると言い訳するでしょう。実際にツールを使っているので事実ですが、受け取る側にはそれを確かめる術はありません。これも「ツイッターを乗っ取られました」と同じようなものかもしれません。
実際今今この部分はツールを通さずに入力をしているけれども読み返してみるとまあ決定的にまずい部分っていうものはないけれども逆にこのことも書いたはずなのにも関わらず全て省かれているなというような部分が見受けられるそういう意味ではかなりもちろん悪意ではなくて現状の仕組みの限界というかそういう風なシステムであるということを踏まえつつ必ずしもそのまま伝えるだけを変更してくれるわけではなくて内容も変わっている部分もある変わっているというかスタイル大きく言いたいことが変わっているとは思わないけれども細かい枝葉の部分については変わっている部分もあるのでもしくは省かれている部分などもあるのでそういうことは気をつけないといけないように思う省かれたことによって誤解を読んでしまうというかこの部分が相手を傷つけないためには重要であるというようなこともあるだろう.
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