書く実験の記録

#475 記憶の不確かさと平行線の不快感

An overwhelming image that conveys the theme of memory's fragility and the discomfort of unresolved communication. The image features hundreds of blurred conversations and faint, overlapping text messages filling the screen, symbolizing the overwhelming and unclear nature of recollections. The color palette is muted, with soft grays and blues to evoke a sense of uncertainty and unease. The blurred figures should appear distant, almost fading away, with the text messages densely layered, creating a chaotic and crowded composition. No frame around the image, allowing the elements to fully occupy the space.

朝起きた時にもしくは何かふと思った時にあこれは面白い考え方だなこれをどこかに書いてみようなどと思うわけだがそれは本当にすぐにメモしないとすると頭の中からどこから逃げてしまっていてそして二度と戻ってくることはない.

ああそうだこれを思いついたんだったと思い出すことも稀にあると言いたいところだがまれにという言葉が適切ではないと思えるぐらいに本当にごくわずかな回数しかないように思う.こと自体をもともと忘れているので実際にはそれが本当に以前思いついたものと同じなのかどうかということも特に定かではない.

そう思うと今はこの場所に自分がいて自分という存在が何かをしているというのはもちろんそれは何かしらの記録と記憶に頼っていて継続して自分が何かその行為をしているのだと実際に覚えているからそのように思っているけれどもそれがだんだん遠くなるにつれて正直言ってそれが本当に自分の記憶だったのかというのはあまりよくわからない.

身近な例で言えば誰しもがおそらく経験をしたことはある他の人との間での何かを言ったとか言わないとかそういうすれ違い.今私も具体的に以前所属した会社でそのようなトラブルが存在したこととそのようなトラブルに遭遇したことというものを今まさに具体的に思い出している.

その件に関しては今でも私は自分自身の主張が正しかったと思っているけれどもしかし本当にそれはそのように主張できる根拠というものはなかった.相手の主張も同じようにそれを主張する根拠というものはなかった.

あのどうしようもなく後味の悪い気持ち悪い感じというのは今でもなんだか思い出すと嫌な気持ちになる.はっきりしなかったこととか相手の主張が間違っていたとか自分が正しかったとかそういうことではなくて記憶というものの不確かさとそれを証明する手段がない場合の平行線という感じがすごく嫌でそれ以来できるだけ色々なやり取りというものはテキストで残るようにするようになった.

そういう意味では自分にとっては 今の口頭ではなくてメッセンジャーツール Slackなどを経由したやり取りはほとんど閉める現在というのは自分としてはすごくやりやすい.

2024-09-03

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