書く実験の記録

#487 書くことは瞑想か

継続して文章を書いてきて文章の質が上がっているという気持ちにはならないが少なくとも何かしらの文章をパッと書くということ自体には慣れてきたように思う.

継続しているとその変化というものは分かりづらいものだけれどもしかし思い返してみると基本的にまず今これは5分を計測しながらやっていて5分間経ったらやめるということにしているんだけれども久しぶりに何かネット上に文章を書くというようなことをし始めてその始めの頃というのはそんなに少ないかけていなかったように思う.

思うという終わり方が2つの段落で繰り返されていてこういうのは気持ちが悪い.遂行すればいいのだけれども,これは漢字が間違っているね,遂行,音声入力ではちょっとこれは変換が難しいようだ,なので察して欲しいのだがまあとにかく文章を遂行するということをすれば後で治るので大きな問題ではないのだけれどもできるだけ後処理を少なくするというのも重要なことなのでそのような無駄はできるだけ減らしていきたいとは思う.

話は戻るけれどもいろんな方法を試しておそらくそうだなネタの見つけ方であったりとか書き始め方であったりとかあとは入力方法であったりとかいろんな最適化があるだろう.

いろんな部分で最適化した結果必ずしもいい,いいというのはそうだな質として良いものが出せたかとどうかは分からないけれども,をこなすことでその中で質がいいものが出てくるであるとか量をこなすことでスキルが上がっていつか質が高いものを出せるようになるということを一旦信じて継続してみているということはある.

一方でそうは言ってもそのような下心はあるんだけれどもあるということを自分自身に隠しながらやっているというものもあるだろう.つまりどういうことかというと自分はこれによって何かが上達したいんだというのは何か結果を出したい前に進みたい価値がある何かを手に入れたいという欲望である.

もしくはもっと言えばその質が高い文章を書くことによって書けるようになることによって例えば何かそういう機会を得てお金を得るであるとかもしくは何かこう褒められるというようなことであるとかまあそういう何かだ.

質が高いというものはもちろん自分自身にとっては質が高いけれども他社によって評価がされているわけではないというものもあるだろう.とか面白い視点でかけたなとかそういうものはある.でもそれが全然評価されなかったりもする.そのことを気にしすぎてやめてしまうのはよくないから気にしないようにはしているがやはりできれば褒められたいと思っているんだろう.

しかし少し話は戻るが今のこの文章において例えば何か明確に目標を定めてやるということをするとこれを続けられなくなるのでそれを自分自身に隠しているということになる.

特定の目的を持たずにまた目的を持っていないということを知りながらそのことによって何かを継続してしかしそれで結果みたいなものが出ればいいみたいな淡い期待をしているというのは何と言うか甘えというかあまちゃんというか逃げているというか結局明確な目標設定してそこに向かうということから逃げているだけなんじゃないかという気持ちになることもある.

なんだかネガティブな結びになってしまったがそうは言っても5分間というか実際には4分間ぐらいでこのぐらいの文章を入力できるようになったというのはまあ成長していると思いたい.私の場合はだいたいこのぐらいで結果が出るかなこのぐらいで何かこう求める結果が出るかなと思ったことの10倍ぐらいの期間がかかってやっと結果が出るという傾向があるので何でも素早く成し遂げて成果を出す恵まれた人見て嫉妬することもあるがまあどちらかといえばこれはメディテーションというか瞑想のようなものだと思っているので気にしないでやってみよう.

そうだなメディテーションだと思えば自分のためにやっていることだし.

2024-09-15

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