#323 ちゃんと迷惑をかけてもらえること
頼ることと頼られることのバランスは難しい。最近、というか前から感じているが、最近改めてそう感じる機会があった。誰かに何かをお願いする時、巻き込みたい時というのは、もちろんこれは迷惑ではないかという可能性を考える。相手のことを尊重したり尊敬していたりするほど、やはりそう考えるだろう。
遠慮してしまう。
遠慮せずまずは言ってみることができるような関係性が出来上がっていればそれは素晴らしいしその心配はないかも知れない。でもその手前の時に、相手のことを軽んじているわけではなく、誘いたいけどこれ迷惑じゃないかな、と考えてしまう。それに親しき中にも礼儀あり、ともいうし、なかなかやっぱり気を遣ってしまう。
たとえば、仕事であれば、もちろん報酬は大事だ。だから、報酬が十分ではないとか、そもそも報酬が発生しないプロジェクトとかだと、気を遣う。それは当たり前のことだ。けれども、それで声をかけずに終わっていいか、というとそうではない。
ここまでは声をかける側としての葛藤だ。では逆の立場の場合のことを思い出してみる。
ちゃんと迷惑をかけられるほうが嬉しいこともある。
何かのプロジェクトが周囲で発生していたり、もしくはプロジェクトと言わないまでも困り事が何か周囲で発生していたとする。で、まあなんかその時は自分は関係をしなかったとする。
この時もちろん、関わらなくてよかったプロジェクトもあるだろう。だけど、中には、いや報酬とか関係なくて、そもそもきちんと関わらせてくれること、きちんと巻き込んでくれること、もっと言えばきちんと迷惑をかけてくれること、が大事なんだけどなぁ、と思うことがある。
なんというか、場合によってはちゃんと迷惑をかけてもらえるほうが嬉しいというか。迷惑の種類によるので、まあ場合によっては、なんだけど。そして相手にもよるしケースバイケース。あらゆる迷惑を歓迎する、というわけではない。だから難しい。
だけど、まあ極論を除いたとして、実際にそういうことはある。報酬は十分にないんだけど、とか、今回は報酬はないんだけど、というようなプロジェクトがあったときに、むしろまだその形になっていない段階からきちんと関わらせてくれるほうが、面白そうだし、そうして欲しいんだけどな、というような時。
受け手が価値はどこに見出すかわからない。
それがあなたが価値があることだと思っていて、しかしその価値はまだ潜在的なもので公にはなっていないものだったりうまく説明できないものだとしても、そのどこに面白さや報酬を見出すかはわからない。
どこに報酬を見出すかは、受け手の視点、受け手の判断だなと思う。自分が受け手の場合に特に思う。お金がなくても、面白そうなプロジェクトはいっぱいある。価値があると感じられるプロジェクトはある。単純にその人の力になりたいな、という時もある。とにかく自分が相談されたとして、価値はいろいろなところに見つけ出す可能性がある。実際にそういうことはたくさんある。
メリットは受け手が見つけることもある。
だから翻って、自分が何かを相談したいときに、これは本当に図々しくならないように線引きが難しいのだが、明確に報酬をきちんと出せるとか、明確に何かあなたにメリットを提示できますよ、というロジックを探そうとするし、そうでない時はよほどのことがないと相談しづらい、または避けてしまう、安全側に判断を倒してしまう癖があると自分でも思う。
思うんだけど、自分が受け手だった時のことを考えると、必ずしも相手から明確にメリットを提示されなくても、相談してもらえただけでも全然嬉しいし、価値がまだ顕になっていなかったとしても自分で価値を見出すこともあるし、相手が思ってるところではないところに価値を見出すこともあるし、まあなんか全然ウェルカムなんだけどな、って思う。
関係性を作っていく。
だからなんだというと、つまり、今年はもっと関係性を作っていこうと思う。相談したりされたりをもっと上手になるように頑張ってみようと思う。
これは本当にバランスが難しいし正解もなくて、図々しくなりすぎてもダメだし、引っ込み思案になりすぎてもダメだし。気をつけなくてはいけない。けど多分今まではかなり安全側、明確にメリットを提示できないなら相談しないという判断の側に倒してきた自覚があり、そこを少しリスクを取る側に倒してもいいかな、ということだ。
終わりに。
なんかこの文章の書き方(内容ではなく、フォーマットというか、フォーマットから生まれる空気というか)、知り合いの文章から受ける印象にすごく似てるな…と書き終わってから思った。あとなんか怪しげな自己啓発みたいな空気にもなってしまってギリギリな感じ。
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