507 誰かを押し除けてまでやりたいことはなんですか
今朝シャワーに入りながら何かを思いついていたはずなのだが、そのこと自体は覚えているものの、内容は何も覚えていない。何かを思いついていたということだけを覚えていて中身を覚えていないというのは何かを思いついていたということ自体を覚えていないよりよほど辛い。
自分はつくづく飽きっぽいのだなと思う。なんでもすぐに投げ出すというわけではないし、なんならプログラミングとかデジタルで何かを作るということは10代の頃からずっとやってきたと思うとそのことには少なくとも飽きないという適性はあったんだろう。そうは言ってもその中でやりたいことは徐々に変化していくしその変化していくということを受け入れていくしかない。むしろ変化が数年ないと不安になるくらいだし。これはおそらく仕方がないことだ。
君は何が好きですか、君は何がしたいですか、と問われるのが苦手だった。でもじゃあ本当に何も、好きなことややりたいことがないわけじゃない。誰だってそうだ。自分だってそうだ。でもここで、自分の場合は何が障害になっていたかというと、その好きであるということにどこまで責任を持てるのかということについて考えるからだったかもしれない。そのしたいということにどこまで責任を持てるかということについてかもしれない。
どこまで、というのは、その熱意なわけだが、若しくは真剣さなわけだが、大きさや深さであったり、若しくは時間的な長さであったりするだろう。そのやりたいことというのは一生を賭してやりたいことなのか。やりたことだと言えるのか。同じことをやりたい他の人よりやりたいことなのか。人を押し除けてまでやりたいことなのか。そう問われている気がした。
子供の頃の話を聞くと、どうやら昔から、それこそ幼稚園の頃から、他人を押し除けるのは苦手だったらしい。自分の欲望のために他人を押し除けるのはあまり好まなかったようだ。別にこれは自分が聖人のような人間だと言いたいわけではない。ただそういう人間だったらしい、と、しかも遠い昔のことなので、ただのそういうどこかの誰かのエピソードにすぎない。
私個人のことをよく知っている友人であれば、私がいわゆる倫理規範や社会道徳を盲目的に最も重視して生きるようなタイプの人間ではないということは知っているだろうが、私のことを知らない人もいると思うので念の為改めて。別にその子供の頃のエピソードを持って今の自分が素晴らしい人間である、またはそのような素養を子供の頃から持っていたのだ、ということを述べるつもりは毛頭ない。
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