書く実験の記録

#321 考えることを考え続ける/散文的でいこう

以前哲学についての漫画、なんという漫画だったか忘れてしまったが、とても面白い漫画があった。うーん、今思い出そうとして少しググってみたが全く思い出せない。なんだったろうか。

考えること、考えることを考えること、それを続けること、普通ならそこでやめてしまうというところからさらに掘り下げて考え続けること、それが哲学だっていうようなことが書いてあった気がする。

まあこの文章自体は普通とは何かという問いにもつながるしおそらくあまり正確ではない。哲学とは別にそういうものではないという反論もあるだろう。そういう大きな話はもしかしたらちょっと違う間違ってるかもしれないが,小さな話としては確かその漫画でそういうシーンがあったなと思い出した.

ということで考えて考えて考えることをやめないというのも一つのこのサブスタックのテーマではあるんだけど,まあそういう時もあっていいし浅くて薄くていろんな話に触れる時もあっていいだろう.

そんなことを書きながら5分が経過している.

散文的で行こう。

そんなフレーズが思い浮かんだ.こういうのは Google で検索をすると過去にたくさんの人がすでに出していることが常なのでオリジナリティをするという意味ではない.ただ単に本当に今頭に浮かんだということである.

定義を Wikipedia で調べてみよう.

散文 – Wikipedia

散文(さんぶん)とは、小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。

なるほど,よく考えたらきちんと意味を知らなかったけれども,普通に書いた文章はだいたい当てはまるということか.

また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。

これはまさにむしろ思うところで, 味気なくていいじゃないか, 薄くていいじゃないか,と.

全米が泣いたとか,エモいとか,映えるとか,何か感情すごく強く動かすようなそれを目的としたコンテンツであるとかそういう感想であるとかとにかく今の時代は感情に対して濃口だなと思う.全てが濃口でも飽きてしまうので,今むしろ「味気なく、情趣が薄い」ものの価値は以前より相対的にあるのではないか,とか思ってみたがどうだろう.

味気なく行こう。薄味で行こう。というところかな。

終わりに。

なんでかよくわからないがここ数回, DALLE E2の出力がイラストっぽくなってる.漫画に言及したからかな.

2024-01-31

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