#544 変化する受け取り方と時間の味わい

12月に入った.今年ももう終わりだなという気持ちになる.残り30日ということは365日のうちの約92%を消費していることになる.経過してることになる.まあそれは確かにそういう気持ちになるかもしれない.
今年は振り返るとなんとかかんとかみたいな気持ちに一緒になってしまったがそうは言ってもまだ振り返る時期ではないように思う.もう少しやれることはある.本当はもっと早く知っていたかったことだが.
当たり前のことなんだけれども週末とか月末とか年末とかには何か色々振り返りであるとかクロージングであるとかまあ余ったというか残ったタスクを消化したり振り返りをしたり次の期間のための準備をしたいというような時間を取っておいた方がうまくいく.
当たり前のこと言っているんだろう.なんと当たり前のこと言ってるんだろう.自分でもそう思うのだがいろんなことを試行錯誤してなるほどそういうことなんだなとやっと自分でわかったということでもある.
もっと早く教えてくれればよかったのにというのは往々にして間違っていて.多くの場合はもっと早く誰かが教えてくれていたりそもそも学校でそれを学ぶ機会があったり.それが何かの教えてくれる項目として何か明示的にされているわけではなくてもそういうことを学び取る時間学び取るタイミング学び取るチャンスのようなものは必ずあったように思う.
結局何かが起きた時に何かを学べるとして受け取れるかどうかというのは受け手の準備が整ってないとそうはならない.準備が整っていない人にその情報が来てもそのタイミングが来ても何かそのことを学び取ることはできない.英語がわからない人が英語で話しかけられてもそこから学べるものは何もない意味不明な音が流れてるなと思ってしまうだけだ.
しかし全く言語がわからない状態からその言語を理解するまでに至った人々というものは本当に素晴らしいというか偉大だなと思うし一体どうやったんだろうとは思う.けれどもそれは非常に長い時間をかけて苦労して培っているもので普段の何かを受け取る学ぶ学ぶことができるという状態とはまた少し話が違うだろう.
読書に関しても同じことを思っていて1つの本にはいろんなことが詰め込まれていてそれは小さなこともあるし大きなこともあるしその本の大きな主題であるようなことだけではなくてもっと些細なこと本当は別に作者はそれを意図して書いたわけではなかったりするようなこと.色々なことが含まれている.いろんなものが入ったサラダのようなものだ.
その中である時の自分はある部分に反応することができる学ぶことができるし逆にその時の自分は別のある部分には反応することができないそれをピンと来て完成で捉えることができない.
でもまた別の時の自分はまた別の場所に反応したりする.だからまあ何というかこう当たるような当たらないようなでも当たってるような気がするような占いの文章にもロジック的には通じるけれどもまあ内容的には違うんだけれども.受け取り方が変わるためには自分が変わらなくてはいけない.
自分が変わっていれば受け取り方もまた変わる.受け取り方というかもう受け取る部分というか大きな意味で言うと1つの本から受け取る部分というか受け取る受け取り方は違うということになるしそもそも小さな意味で言うと受け取っている部分が違うということになる.
なんかそういうものなんだなと近年思っている.
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