書く実験の記録

#548 なんとなく、気がする、曖昧な認識と偏り

昨今なんとなくだが日本の治安が悪くなっている気がする.でもこれはもしかしたら気がするだけかもしれないし正直ってわからない.この気がするということについて考えてみよう.

気がするという風に自分で言ってるのはまあ治安の話は置いておいて自分がそういう風に気がするという風に考える時っていうのはそこに確信が持てない時だ.つまり気がするだけかもしれないな事実とは反するかもしれないなという考えがあるという前提を共有しているということになるだろう.

つまり自分には見えないが冷蔵庫のドアが閉まっているから中が見えないがそこにリンゴがある気がする.そこにリンゴがある気がすると言うならばそれは可能性である.可能性の示唆である.

だから正直言ってりんごがあるという確信がある場合はそこにリンゴがあると言うだろう.そこにリンゴがあるという確信があれば目の前にリンゴがあるのであればここにリンゴがありますと言うだろう.

この辺については見るとは何か認識するとは何かみたいな誰かのなんか難しい本を読んだことがある気がしていて見るということそこにあるということそこにあると認識していることとそこに存在しているということが必ずしも=ではないみたいな話もあるとは思うのだが残念ながら私にはそれについて詳しく論じるための知識が足りないので一旦そこまで難しい話は置いておこう..日常的な認知の話として捉えていこうと思う.

話は戻るが推測であって何が事実であってそして何が伝聞であるのかみたいな話っていうのは結構重要だと思っている.誰かから聞いた話みたいなものを自分の意見として言うというのがいいとか悪いとかそういう話ではなくて.

コミュニケーションとしてそれが事実なのか自分がそう思っているのかそれとも誰かがそう思ってるのかそれとも誰かがそう事実だと捉えているのかみたいな話っていうのは結構その違いがあって.

この辺をないがしろにするというかいい加減にするいい加減にしてコミュニケーションを取る人はいなくはないというかいたりするんだけれども.特に利害関係が絡んだりとかまあ仕事を何か進める互いに協力しちゃって何かをするということであるとかっていう場合に.この辺が明確になっていないとトラブルが起きることは結構あると私は思っている.

しかし最近つくづく思うのだが自分というものの思想が偏っているな.いや思想と言うとちょっとまあそれはそれでもちろん何かしらの偏りがない全く偏りがない人間なんてものこのように存在しないと思うしそれはおかしいとすら思うので自分が偏っているなというのは自分だけが偏ってるなという話ではないと思っているからそれについて特に何かすごく自分に対してネガティブになっているみたいなことではない.

全ての人間は偏っていて全ての人間は誰かのことを偏ってるなと思う.

2024-12-07

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