書く実験の記録

#550 引用を軸に計る、忘れるという尺度

何を書こうかなと思っていたが、この直前に昨日の振り返りをやっていたせいで、少しネガティブなことを思い出してしまい、それに引きづられてしまうような題材が頭に浮かんでしまった、しかし別にそういうことを書きたいわけでもないしなと思い、別の題材を探してみる。

時事ネタもあまり扱わないようにしているのだが、しかし自分の中でも上手く書けたというか、別に数字は稼げていないというか、何かバズったわけでもないしいいね数が稼げたわけでもないしたくさん読まれたわけでもないが、自分としては意味があったなと思っている文章というものはある。何かと、しばしば思い出すのだ。

後で何かの機会に自己引用したくなるような、そういう文章。文章自体というか、テーマと、その文章の中でまとめた、記録した、自分の考えについてというところだろうか。

そういう文章を増やしたいというのが一つのテーマなのだが、実際にそうできているかというと、まあ決してそんな感じはしない。むしろそういう文章は減ってしまっているようにすら感じる。それはなぜだろうか。

なぜそう感じるかというと、質を定量的にはかる手段はないのだが、自己引用の回数というか、そもそも自分自身でその文章を覚えていることが少ないように思おう。そういう文章の存在を思い出すことができなければ、覚えていなければ、そもそも自己引用することはできない。

逆にいえば、文章そのものの価値をはかっている、はかれているわけではない。一つの結果として、自己参照する回数からそれを推測っているのだ。計測界隈ではよく言われることだが、計測できることが、計測すべきことだとは限らないというものがある。

そうは言っても、論文の価値も一つの側面として引用数ではかられるわけだし、一つの基準としては機能するんだろうとは思う。

2024-12-09

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