#560 いろいろあったのかなかったのか、 器、曖昧さ

今年も残すところ…何日だ?9日くらいかな。今日を入れると10日。なんということでしょう。短い。圧倒的に短い。今年も色々なことがあったな、ということを言い出すかどうかはわからないが、色々あったような気もするし色々なかったような気もする。
ないものは作ればいいので、色々なかったなら、それは色々作れなかったということだ。一方で、あったかなかったかというのは解像度をどのくらいで見るかにもよるとは思っているので、あったとも言えるし、なかったとも言える。まあ頭の中にはいくつかの大きな出来事はあるので何もなかったとは思わないが。
と、なぜこのようなことを書いているかというと、人間はどの程度の大きな変化を許容したり嗜好したりするのだろうか、もちろんそれは個人によって違うのだけど、その違いというのはどのように形成されるのだろうか、ということを考えたからだ。
以前、器について考えたことがある。器とは、器が大きいとか、器が小さいとか、概ね大きさで語られる。それ以外はあまり聞いたことがない。
日本語ではよく、こういう時に、「あまり聞いたことがない」という表現をする。でも実際には「あまり」ではなくて「一度も、全く」聞いたことがない。ということもある。今回もそうだ。器が大きい小さい以外の表現は全く聞いたことはない。
にもかかわらず、「あまり」という。これは「あまり」というからには、全くないわけではないのではないか、少数はあるということなのだろう?と受けてに考える余地を与えてしまう。
普段の会話ならいいのだが、少数の事例があるかないかでその後の話や判断が変わってくるような場合には、実際には全くないならないと言った方が良いと思うのだが、実際にはそうはならない。今私がつい「あまり聞いたことがない」と言ってしまったのも、少数の事例があるならば話は違ってくるので、ないならないというべきところなのだが、なぜか「あまり」と言ってしまう。これはよく考えたら不思議なことだ。
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