書く実験の記録

#562 固有であるという点でありふれている

いいですね。よくないですね。そのいずれかの反応をする。素晴らしい。ちゃんとしてますね。なんかそういう褒め方をする。興味深いですね。個性的ですね。何か色々な言い方があるが、ニュアンスが気になってしまう時がある。

いいですね。これはポジティブだ。しかし、何かのやり取りのおりに、いいですね、と返したとして、その時ふと思うのだ。いいですね、ということはわるいですね、もあるはずで、つまり良い悪いの判断を私はしていますよ、ということだ。

良い悪いの判断をしているということは、私は良い悪いの判断をする立場であるということである。少なくとも自分ではそのように考えているということである。もちろんただの感覚であり感想なのだが、それ故に別に自由だし気にすることではないのだが。ほんのわずかにそういうニュアンスについて考えてしまうことがある。

そういう時に、代わりに、素晴らしいですね、という言葉を選ぶことがある。素晴らしい。もちろんその反対には素晴らしくない、もしくはもう少し適切な反対語があるのかもしれないが、とにかく良い悪いの判断があるはずだ。

けれども私は、いいですね、という言葉よりも、素晴らしいですね、という言葉の方が、なんだか、うーんと、なんだかなんだろう?なんだか使いやすい。なんだか偉そうではない。なんだか価値判断が含まれていない。なんだか上から目線ではない。なんだかそのことについて私が判断をする立場であるというニュアンスがない。そんな気持ちがある。

これはもちろん気持ちの話である。ニュアンスの話である。それはつまり個人的な物事の話である。だから、辞書を引いたらそんなことは書いていないだろうし、こうは思わない、私はそうは思わないという人もいるだろう。

しかし私はそう思うのである。

最近よく反芻する言葉があって、以前何かの本で読んだ一節だったと思うのだが、なんと書いていたかは忘れたが、要はニュアンスとしては、すべてのプロジェクトは固有である。そして全てが固有であるという意味でありふれている。ということ。

話としては、固有であるから、統計がかけられるという話に続くのだが。そこはあまり重要ではない。

これはプロジェクトマネジメントについての話だったわけだが、私はそれに限定しない文脈でよくこれを反芻する。この一節のポイントはこうだ。すべてのプロジェクトは固有である。これはどういうことかというと、人はつい、自分が取り組む今回のプロジェクトは固有だと考える。もっと言えば、今回のプロジェクトだけが、他と違って、特殊で固有だと考える。考えてしまうということ。

上の文章で言うと、前者は、真である。あなたのプロジェクトは固有だ。固有の要素や条件がある。しかし、後者は偽である。つまり、あなたのプロジェクトは固有だが、あなたのプロジェクトだけが固有であるとするのは間違いである。すべてのプロジェクトが固有であり、その意味ですべてのプロジェクトはありふれているのだ。

しかし同時に、これは単に多様性を受け入れよう、とか、あなたは世界に一つだけの云々、みたいなことでもない。そうではなくて、もっと冷徹で冷酷でロジックの話だなと思うのだ。

2024-12-25

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