書く実験の記録

#575 モヤモヤの輪郭を描く

このエディターを開いてすぐにうまく書き始められる時とない時がある.今日は校舎だ.いきなり変換を間違っている.

うまく書き始められない時というのは全く何も思いついていない時かもしくは何か思いついたけれどもそれがややネガティブなことであってちょっとこの場所に遊ぶはないなと思うようなことがある.ちょっとこの場所にそぐわないなと思うようなことがある.

完全にプライベートで誰でも見せていないメモ自分のためのメモみたいなものはどれだけネガティブであっても誰か出会っても正直言って誰かを傷つけるような言葉であっても誰かを批判するような言葉であってもそれは自分の内面だけの言葉であるので特に気にする必要はないと思っている.

人間なのでもちろん時には気分が落ち込んだ時もあるし誰かに腹が立ってしまったこともあるしでもそういうことはできるだけそのプライベートな場所に封じ込めるようにしている.おそらく誰だってそう.

けれども時に誰かを決めつけてしまうかもしれない言葉とか出張というかアウトプットというかなんていうのかなという言葉にしたらいいのかパッとうまく思いつかないけれどもそういうものをきちんと発言できる人というものもいる.

これは。で他人ごとのように言っているけれども自分はややそういうのは苦手であるがゆえに自分が知っている人を身近な人の中でもそのことはできる人というものを思いついているしそういう人はそういう人ですごいなと思ったりする.

これは誤解がないように補足をしておくが単に誰かを傷つけようとする言葉みたいなものにはもちろん意味はないし価値もない.いやもちろんその目的によっては誰かにとっては意味もあるし誰かにとっては価値があるというのはそういうものなんだけれどもまあとにかくあまり良いものではないだろう.

しかしそういうものを指して言っているわけではなくてやっぱり誰にでも受け入れる主張誰にでも嫌な気持ちにならない主張みたいなものは逆に言うと誰も良いように捉えられないというか薄っぺらいというか引っかかりがないというかまあとにかくこれはこうである私はこういう風に考えるんだという風に視聴した時にそこに意見が合わない人はそれに対して何かこうポジティブな気持ちには少なくともならないということがあること自体はそれはやむを得ないことである.

しかしとかく批判と炎上が渦巻く現在のインターネットにおいてはなかなかその有機ってな出ないし実際に私自身は非常にそういうことを恐れてバタバタしているところがあるからバタバタしているわけではなくてアウトプットしているというかアウトプットにおいてそういうことをすごく気をつけているところはある.

もちろん過去の全てを重箱の隅をつくように掘り返されたりしたらどこかには誰かを傷つけてしまうことももちろんあるだろうし単純に私の発信力がなかったり影響力がなかったりつまりたくさんの人に見られていないからまだ問題になっていないのであってもちろん誰さ誰だってたくさん飲みたくさんの人に見られればそんなか誰かを傷つけてしまうたくさんの人に見られればその中の誰ここは気をつけてしまうことはあるだろう.

それに例えば何の問題もない誰も傷つけていないような一見したらこういう風なポスターだったとかライティングに対してもこれは一般的には誰も気付かないように考えてるんだろうなと思いながらでも私自身がそれに対して少しモヤモヤしてしまったりするものというものも存在するし自分がそのような何かを作っていないと断言するのはそれは難しすぎるだろうと思う.

2025-01-10

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