#580 慣れが変える距離感 / 特別が普通になる瞬間

ちょっと出かけてこよう.そう思った時にどこまで行けるか.つまりちょっとの範囲というものはどこまでなのかということ.そんなの決まってるじゃない.明確に決まっているわけではないけれどもある程度共通認識として決まっているのではないかと思うかもしれないが.
子供の頃自分が生まれた街でもしくは育った町で初めて1人でどこかそうだないわゆる街中というか繁華街というかそういう町の中心地商業の中心地に買い物に行った時にはすごく大きな冒険だったように思う.
初めて一人暮らしをした時にその時は大学の近くに住んでいたのでその町の中心地からは結構遠かったんだけれどもその町に来て初めてその町の中心地に行った時にすごく時間がかかった.確か最初は自転車で行ったんじゃないかな.
道がよくわからなかったということもあるしつまり単純に遠回りをしてしまった最適な道を通れなかったということもあるだろうけれどもやはりそうではなかったとしても感覚的にはすごく遠かったように思う.
めちゃくちゃ遠いなという感覚は今でも覚えている.しかしそのうち町の中心地というのは近くなった.何度も行くうちに慣れてきたというのがあるだろう.一番最初のあの遠かったなあという感覚は何だったのかなと疑問に思った時の気持ちも覚えている.
住んでいた町から初めて東京に行った時も遠かったなと思う.何歳の時に何の時に行ったのかを忘れたけれども.新幹線に初めて乗るというのも大きな経験だったしその時はもう一人暮らしをしていたというか親元から離れていたので.新幹線に初めて乗った時ってのはそれは何で乗ったのか覚えていないけれども一人で乗ったように思う.
それも今や頻繁に仕事で行くようになりもはや行き来するのはもはや大したことではない.まあ駅に乗って何かの電車に乗ってしばらく乗っていたら着くという意味では隣の県に行くのと正直言ってあまり大差はもはやないだろう.もちろん時間は圧倒的にかかる.
ここで言いたいのはそういう個別具体的なことではなくてそういう事っていうのはあらゆることでと起きているんだろうしこれからも起きていくんだと思う.何を言いたかったのかよくわからないけども自分でもよくわからないけれどもこれは単にもちろん慣れの問題である.
しかしこの慣れるというのは良くも悪くも人間の大きな機能だなという風に思う.特別だったことは繰り返すことでいつか特別ではなくなる.
大変だなと思っていたことは大変ではなくなるし.面白いなと思っていたものは面白くなくなる.のかもしれない.
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