#613 勉強する / ある方向に進む

もっと勉強したいという気持ちと、勉強とはあくまで手段である、という気持ちの両方がある。だから無限に勉強だけをしていても目的には到達できないし、でも勉強そのものが楽しいから別に何かに到達できなくては行けないというような目的ありきの行為ではなくてもいいのではないか、という気持ちの両方がある。
前回何かを書こうとして何かを書けずに関係ない話をしてというか脱線して終わったなと思っていたことを思い出してそのことを思い出してみようと思う。なんだろうこの読みづらい文章は。
長い文章が読みづらいのはどこにどこがかかっているのかよくわからないからである。どこがどこにかかっているかを理解するには一時的にその文章を覚えておいて必ずしも順番通りではない意味関係をパズルしないといけないからというのが一つの理由としてはあるだろう。
そうそう失敗の話だ。結論めいたものは思いついていて、それをいきなり書いてもちょっとわからないであろうとか言葉が強すぎるであろうとか思って順番にそこへの導線を引いていこうと思って入り口から入ったところ別の方向に進んでしまって結論に辿りつかないというのがよくあるパターンだ。
勿論仕事のプレゼンテーションの場であるとかにおいてはそれはその通り。会議でもそう。とにかく情報を伝えることを目的とするならその通りだ。早く結論を話してほしいな、と思ったことは誰しもあるだろう。
しかし仕事においても別の目的があるときにはその限りではない。例えばチームで何か抽象的なことであるとか必ずしもロジックだけでパッと答えが自明ではないことについて議論するとき。アイデアを出すとき。そもそも目的が何かわからない、結論はまだ出ていない、結論も見えていない時というのはある。そういう時はとにかくグネグネとした道を歩くというか、そもそも道のない道の見えていない土地をぐねぐねとどこに向かっているかわからないけどとりあえず歩く。
グネグネなのか、それとも自分ではまっすぐ進んでいるのかはわからないが。いやそもそもそれ自体もどのスケールで見るかによるだろう。よりミクロで見れば、グネグネと歩く途中はまっすぐ歩いている。また結論を求めていない話し合いの中でも、今私はこう考えているんだけど、ということを伝えるというミクロなある時間やコミュニュケーションの中では、あることを伝えるという目的はあるので、その小さな範囲ではやはりわかりやすい方がいい。
またよりマクロで見た時も、小さなグネグネがあったとしても、ひきでみればそのグネグネは見えなくなり、一つの方向に進んでいるということもあるだろう。
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