#621 わかること / 繰り返すこと

自分ができることとかやったことがあることを誰かに依頼する.やはりやったことがないことよりは当然やったことがあることの方がその行為に対しての解像度が高い.だから極端に言えば色々な細かいところ無視って言えば1から10まで理解しているということになるだろう.
1から10まで全て理解している上で誰かに依頼をしているので依頼は具体的に言うことができる.つまり頭の中ではもう出来上がっているわけだ.プロセスを全て理解している.
もちろんプロセスを理解しているということと必ずしもそれがその通り進むということは全く=ではない.何かを実際に行為するということは一回性の塊だ.全く同じようなことをしているようでもまず自分の身体が毎回違うある瞬間ある瞬間で常に違うわけだ.
この間読んだ本に有名な野球選手が毎回ボールを投げるという実験でそれは試合中のような緊迫した状況ではなくてあくまで実験なのでかなり毎回同じ状況が整っているにもかかわらずそしてきちんとボールは同じ場所に投げ込まれているまあそれはプロなんでね精度高く投げ込まれているにもかかわらずそして本人も毎回同じフォームを取っていると思っているしそのように意識しているしかし実際に計測してみるとその回によってかなりフォームがバラバラであるということが分かったというようなことが書いてあった.
そうだ、伊藤 亜紗さんの「体はゆく できるを科学する」という本だ.最近読んだのでまだどの本だったか覚えていた.よかった.
つまり同じことを繰り返すための環境がかなり整っていてもそして結果だけを見ると同じことを繰り返せているつまりこれで言うとボールが投げ込まれる位置というものはかなり繰り返せているにもかかわらずフォームはバラバラなことが興味深いということが書いてあった.
これがまさにそれであるということはできないけれども普段自分も何か同じことを繰り返そうとしても.同じであると分かっているようなことを繰り返そうとしていてもなかなか同じようにはできない.毎日仕事をしていて同じことを繰り返していたとしてもその時の体調とかは全然違うし正直って毎日同じことをするっていうのは毎日同じことができるように色その他の色々な環境条件をもしくは自分自身というものをうまくアジャストさせるのだアダプトさせるのだということだ.
だからプロセスを理解しているということがやはり毎回同じことをするだけであるとはならない.まあできれば同じことを繰り返すだけで同じ機会になるように色々なもの準備するのが一番いい意味での怠惰を実現できているのでそれが適している分野に関してはそうあるべきである.
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