#637 道案内の看板が突然無くなる

道に迷うという表現を使った時にそれはその意味のままその見た目のまま物理的な道を示しているのかそれとはもうちょっと抽象的な意味で人生のようなものを意味しているのか.
と思ったのは以前自分が書いた文章のタイトルを見て道に最近迷わなくなったと書いてあるけれども何かそれが人生のことを書いているのではないかというふうな印象を受けた.
実際にはそんなことはなくて.単に物理的に道に迷わなくなったということを書いてるだけである.にもかかわらず何か大きな意味があるようなことになっていてこれは大変心外である.
例えば どうしたら道に迷わないかというと Google マップを使うということだ.もちろん Google マップを使ってもやってしまうことはいまだにあって.例えば先日ある商業施設があってその巨大な商業施設の中ではあるお店に行きたかったんだけれどもそのお店にどうやってたどり着いたらいいかわからなかった.
もちろん地図なども見ている商業施設の地図などを見ているしマップでコンパスなども見ているしまあ色々手は尽くしている消してリテラシーが低い方ではないとは思っているんだけれどもやっぱり苦手な瞬間というのはある.
ある瞬間に突然看板がなくなってしまうということがある.例えば整備された駅だとそうだな具体的に言えば例えば分かりやすい例でトイレだとしよう.トイレはこちらという風に書いてあったとする.
まあ矢印があったりするよねだいたい.矢印を追いかけて行って1つの矢印を追いかけた先にはまた別の矢印があってそういう風に徐々に目的地に近づいていくということがまあ往々にしてあると思うんだけれども.
困ったことに時々その矢印は道案内が途切れてしまうことがある.もちろんこの時入れているというのはあくまでも私の印象でしかなくてどこかに隠れていたというか私が見えていないだけなのかもしれないけれども結構注意深く探しても見つけることが難しいようなことがある.
そうすると矢印に従って歩いていたにも関わらずどこかよくわからない場所に出てしまってしかも矢印はもう入らないトイレはどこだというようなことになってしまう.これは大変困ったことだ.
すごく便利になってしまった後にはその前の時代のことはあまり覚えていないものだ.マップのアプリがない時代のことはもうみんな覚えていないし.家にしか電話がなかった時の仕事の流れみたいなものも覚えていない.
というかそもそも実体験としては知らないんだけれども.知っている人だとしても情報としてはもちろんそういうことがあったと覚えているけれども感覚的なものというのはおそらくもう忘れてしまっているだろう.
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