#696 話す練習とフィラーの余白

音声入力をすることで、話し方の練習にもなるのではないだろうかと考える。ただ、それを使うだけでそれが練習になるとは思わない。全くやらないよりはなっているかもしれないけれども、意識してやるよりはあまり効果は多くはないのではないだろうか。
というのも、音声入力をするというのは、自分が話したことが文字になるということである。自分が話したことしか文字にならないし、逆に言えば、たとえ自分が話そうとしたことであっても、間違った入力がされてしまうことはある。それはもちろん、人間が聞くのであれば、もっと上手く柔軟に文脈を踏まえて聞いてくれるわけなんだけれども、しかしそれより能力が低い、つまり能力が低いものが現状のAIであると仮定したとしても、実際の人間であっても集中力がない場合というのもあるし、疲れていたり、聞き流していたり、いろいろなことがあると思う。
それでもまず、聞きやすいものであること、そして聞くだけでなくて理解しやすいものであるということ、そのための練習になるのではないかというように考えるのだ。
より具体的に言うと、まず文字起こしされるわけなので、それがもし全部音だけが起こされるとしたら、たとえばひらがなで起こされるとしたら、音声がどのように聞き取られたのかということの判断になる。そしてこの時点で、内容もさることながら、フィラーがどのくらい含まれているのか、どのように含まれているのかということが明確になる。
自分の話している内容を聞くと、嫌になってくるぐらいフィラーが気になってしまうようなことがあるけれども、まずこれをあまり増えないように気をつけることができるかもしれない。そうは言っても、以前試したところによると、安全にフィラーをなくすると、なんだか文章の味であるとか、その人らしさ、雰囲気みたいなものが失われてしまうと感じた。
それももちろん重要なことなんだろう。それ自体に意味はなくても、行間であるとか余白であるとか、そういった隙間を示している。ドミニク・チェンというアーティストが作った「タイプトレース」という作品がある。これは、タイピングをする時の時間的な余白であるとか、推敲したりするという、そういったすべてを記録して見せるという作品だ。これは私はとても好きな作品で、自分がそれを思いついて、自分がそれを作りたかったなと思うぐらいだけれども。
とにかくそのように、文章として残っているものではないところにも、さまざまな情報が含まれている。それがフィラーにもあるように思う。そうは言っても、あまり多くても聞きやすくはないし、クリアな印象ではなくなってしまうので、ほどほどにしなくちゃいけない。
もう一つは、このフィラーのように、だらっとしゃべると全然認識をしてくれない、全然違う言葉に認識されてしまう。つまり、聞き取りづらい言葉であるということであって、そういう言葉がどれなのか、これは聞き取りづらい言葉なのではないかということを意識して、その上でそれを明確な発音で、あえて気をつけて発音をするということであったり、もしくはそもそも別の言葉に、明確な、聞き取りやすい言葉に言い換えるということもできるかもしれない。
言い換えるという意味では、変換についても同じだ。音声入力が漢字変換を間違えるのは、多くの場合、同じ音で違う文字が当てはめられている場合だ。つまり、そのような言葉も、人間が聞いたとしても間違う余地があるということだから、できるだけ明確で、他の文字だと思わないような、他の単語だと思わないような言葉を選ぶことができるかもしれない。
そのようなことをやるということは容易ではないけれども、少なくともそれの練習にはなるだろう。滑舌であるとか、そういうものも、より音声入力に誤った認識をされづらいもの、誤った認識をされづらい入力、つまりそれは話すということだけども、要は滑舌よく明確に話すということであって、これはつまり人間にとっても聞きやすいものであるはずだから、そのようなことを意識してやると良いのかもしれない。
ただ、今までの自分がそうであったように、そのことを特に意識しないで、これまで通りのようにやることももちろんできてしまうので、意識せずにやったとしても、それに意味があるとは思えないし、あるとしてもほんのわずかのような気がする。少なくとも自分のことを振り返ると、そう思っているし、意識することで何か自然と良くなっていくことができるのではないかという願望というか妄想というか、希望を抱いている。
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